検察庁にいた当時、贈収賄事件は、捜査、公判で、複数、経験しました。特に、捜査で関わった事件は、どの事件も大変だったという印象が強く残っています。
ある事件では、検察庁の独自捜査で逮捕した収賄の被疑者を私が取り調べることになり、現金の授受から否認していて、最初はがみがみとした感じできつめに取り調べていたのですが、当時の私よりもかなり年配の、海千山千という感じの人物であったため、それでは駄目だと早めに思い直し、じわじわと周辺から次第に核心に迫るような取調べを行って、数日くらい経って現金授受の自白が出て、しかも、受け取った現金を周辺に分配していたことまで供述し、裏付けを取ってみたところ、複数の者からそれに沿う供述が得られて、現金授受がさらに強く裏付けられることになり(使途先の面から)、取調官として面目を施したという気持ちになったことが思い出されます。
別の事件では、贈賄の被疑者を取り調べていて、これがまた海千山千の実にしたたかな人物で、都合の良いところはよくしゃべるのに都合が悪くなると、ふん、という感じで横を向いたりしてしゃべらなくなるのを、いろいろな角度から取調べを進め、最後にはかなり打ち解けて、どっと疲れが出るのを感じながら気持ちの上ではやるべきことをやり遂げたという気持ちになったことも思い出されます。
贈収賄事件では、被疑者の供述が主たる証拠になることが多く、公判になると、供述の任意性や信用性が徹底的に争われることになりやすく、取調べにしてもそれ以外の捜査にしても、緻密さ、綿密さが他の事件以上に求められることになりますし、難易度がかなり高い捜査になります。逆に言えば、弁護する側としても、争うポイントを見出しやすく、一旦争うと徹底的に争うということになりやすい、難易度の高いジャンルの事件と言えるでしょう。
誤った捜査、公判になってはいけませんが、この種の事件が適切に立件されることが公務員の腐敗を防止することにつながりますから、摘発件数の減少が憂慮される中、捜査当局としては奮起して適正な捜査、立件に精励すべきところではあるでしょう。