検察庁(地検)で捜査する事件については「主任検事」が決められ、その検事に事件が割り当て(配点)されます。転勤や他事件への投入により主任検事が変わる場合もありますが、そういう場合は記録だけでなく記録に現れない事情も後任者に引き継がれ、捜査が積み重ねられて、最終的に、起訴するかどうかの判断を、まずは主任検事が行うものです。
検察庁は組織で動いていますから、主任検事の判断だけで決めるわけではなく、東京地検のような大規模地検であれば、主任検事→副部長→部長→次席検事→検事正と決裁され、事件によっては高検、最高検の指揮を受けることもあります。
最近はうまく機能しなくなっているようですが、伝統的に、検察庁の事件決裁は、決裁官は起訴につき慎重に、謙抑的に、というもので、起訴で決裁に上げても、上記のような決裁ルートを経る中で、問題点が指摘され、当初案より罪名や選択刑を軽くして処分を決めたり、不起訴にする、ということは結構あります。逆に、主任検事が不起訴で上げてきたものを、上が起訴に変えさせる、ということは、よほど元々の判断に問題がない限り、まずない、というのが伝統的な在り方でしょう。
主任検事が、証拠の隅々まで見ているのに対し、決裁官や上級庁は、証拠をそこまでは見られず限界がありますから、主任検事の判断は尊重されますし、そこを、慎重に謙抑的に運用することが、あるべき決裁では目指されてきた、と言えるでしょう。それだけに、主任検事の責任は重大で、起訴後に、起訴に問題があったが故の事態が生じれば(無罪など)、その責任のすべては主任検事にあります。起訴状に主任検事が署名するのは、そのような重大な責任の所在を明らかにするものでもあります。
ただ、こういった、あるべき姿がなかなか貫徹できないタイプの事件もあって、例えば税金事件、特捜事件といったものはそのカテゴリに入るでしょう。税金事件では、以前、
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20130301#1362135882
でコメントしたように、検察と国税との間で、告発要否勘案協議会を開いて検討の上、告発を受けるものは受けるというシステムになっていて、告発を受けたものは起訴まで責任を持つのが不文律になっているため(不起訴にした例もあって絶対ではありませんが)、告発の受け方に問題があると、主任検事としてはかなり苦慮することになります。
また、特捜事件では、着手時に上級庁まで報告し指揮も受け、役割の軽重によっては処分保留、不起訴になる者が出ることはやむを得ないとされるものの、重要な被疑者については「逮捕イコール起訴」が、これもまた不文律で、そうであるが故に、無理な取調べや供述調書作成も行われやすくなってきます。
起訴することによる被告人やその関係者に対する多大な影響、負担を考えると、安易な、とりあえずやってみよう的な起訴が厳に慎まれなければならないことは当然ですが、こうした起訴、不起訴が決定されるまでのフローに問題があることで、問題のある起訴がされるということもあって、外部からの改革、改善には大きな限界がありますから、問題が顕在化した際に、検察庁内部で問題が生じた原因をきちんと究明し、今後の再発防止へと教訓に供されなければならないと思います。そういうことをほとんどやらないのも検察庁の伝統的な悪弊です。