「バンキシャ」虚偽報道 露呈した「ネット依存」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090329-00000516-san-soci

バンキシャが情報募集に利用していた「取材協力者・出演者募集サイト」とは、放送局独自のサイトではなく、さまざまなメディアが契約する専門のサイトだ。ページ上には在京キー局のロゴが掲出され、利用率の高さをうかがわせる。
メディアへの出演や情報提供に関心のある一般市民が、サイトにユーザー登録する。一方、番組スタッフは、番組内の企画に該当する人や情報を募集する告知をサイトに載せる。ユーザーは該当項目を見つけて応募し、番組からの連絡を待つ−といった仕組みだ。今回、バンキシャは出演料支払いをほのめかす書き込みも行っている。

取材でも捜査でも、「端緒」というものは様々な形であって、端緒がなければその先へ進めませんから、端緒を求める上でインターネットを活用するというのは悪いことではなく、うまく使えば、リアルではつかめない端緒もつかめるでしょう。問題は、その「先」ではないかと思います。
捜査でも(特に知能犯が典型ですが)、これはモノになるのではないか、と思って内偵を進めても駄目になる、というものは無数にあり、どこで捨てるか、いかに捨てるか、といったことを常に考える必要があるものです。駄目なものにいつまでも執着していては、本当にモノになるものに集中できなくなる、といったことは、捜査指揮をする立場の者は常に考えているでしょう。
おそらく、取材でも似たような面はあって、つかんだ端緒について、それを、ただ鵜呑みにするのではなく、ガセネタかもしれない、ということは常に念頭に置き、健全な想像力を働かせながら、生じる疑問を解消するだけの裏付けをとるようにして、疑問が解消できず、解消できないことが真実性に疑いを持たせるようなものであれば、そこから先には進まない、報道しない、ということを、判断すべき立場の人がきちんと判断する必要があるでしょう。
マスコミの体制とか質とかを論じるほど、私は事情に通じていませんが、時々、取材を受けていて感じるのは、特に「映像」メディアの関係者に、予め想定したストーリーに沿って、華々しく見せたい、といった欲求を強く持って、そういった欲求にうまくあてはめる素材を求めてしまっている傾向があるのではないか、ということです。そういった欲求とガセネタを提供し金とか知名度を得たいという思惑が、裏付けが不十分なまま合体してしまえば、今回のバンキシャ誤報問題のような不祥事が起きてもおかしくはなく、問題のある取材体制をかなり大胆に改善しないと、今後も同様の不祥事は続くのではないかと思います。もちろん、映像メディアだけの問題ではなく、最近、高額賠償を命じられたことが話題になっている雑誌をはじめとする「紙」メディアにも同様の問題はあって、他人事ではないでしょう。