違法・有害情報対策を「国民運動」に、総務省の検討会で提案

http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/09/26/20970.html

さらには、プロバイダーなどの狭い意味でのインターネット関連事業者だけでなく、自社サイトを持つ一般企業をはじめ、ブロガーや電子掲示板の利用者など、「誰もがインターネットの利用環境整備の責任の一端を担うことを明らかにしなければいけないのではないか」とも述べている。

大勢で集まって騒いでいる割には有効な対策が打ち出せず、焦っているのかもしれませんが、「誰もがインターネットの利用環境整備の責任の一端を担う」などという全体主義的な発想には強い違和感を覚えますね。そういった「責任」の根拠は一体何なのでしょうか。日本人は、安易に「責任」という言葉を使いがちですが、そういった安易な使い方により、インターネット利用者を過度に威嚇し萎縮させかねない危険性、といったことも考慮すべきでしょう。

硫化水素自殺に関する情報はすでに昨年の初めごろからネット上にあったにもかかわらず、同社が保有する検索クエリのデータを見る限り、検索件数は少なかったという。それが、テレビで報道されるや否や急増したとしている。

報道機関が社会で起きている様々な事象について報道すれば、それにより模倣犯が出現したり、手口を学んでそれを参考に別の犯罪を犯したり、といったことが生じる可能性は常にあるでしょう。では、そうならないために報道を自粛しろ、ということになると、報道はかなり制約され、国民は社会の中で何が起きているか、ということを知る機会を奪われることになってしまいます。違法・有害情報のことばかり考えていて、表現の自由、国民の知る権利といった、より大きな問題にまで頭がまわっていないのかもしれませんが、違法・有害情報対策のためには表現の自由や国民の知る権利が制約されても構わない、といった発想に、かなり問題があるのは明らかだと思います。
総務省警察庁等から声をかけられ、「公認」の有識者になって喜んでいると、気がついたら国民の権利制限の道への露払いとか太刀持ちになっている、という危険性があるということを、改めて感じさせられます。