「二流ホテルの証明」

http://www.yabelab.net/blog/2008/02/02-141057.php

日教組の教研集会会場使用拒否問題が波紋を広げている状況ですが、一昨日に、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080201#1201864955

とコメントしたこと以外に、少なからぬ日本人の「契約」というものに対する考え方を象徴しているようで興味深いという気もします。
強く批判されているホテルも、あくまで民間企業ですから、教研集会を行いたい、という申込に対し、それを断る自由は当然持っています。この点は、公共の施設や広場が、言論の自由、集会の自由を保障する観点から使用を拒否する自由を制約される場合があることとは、事情が大きく異なっています。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070228#1172623470

しかし、一旦、申込に応じ、会場として使用させる契約を締結した以上、勝手な理由、都合で契約を一方的に解除することはできない、というのが、契約の性質上における当然の帰結でしょう。それがまかり通ることになれば、我々の社会生活は成り立たなくなります。一方的な理由による解除を行いたいのであれば、相手とよく話し合い、合意に基づいて解除する必要があります。
今回の問題で、そういった合意に至らなかったことは明らかであり、では、一方的な解除が正当化される余地があったかと言えば、それがなかったからこそ、日教組側の仮処分申立が裁判所により認められ、異議審、抗告審でも支持された、ということになると思います。
そうなった以上、問題は、右翼が、近隣住民が、ということよりも、ホテル側が、契約を遵守し、裁判所の決定に従って、ホテルを会場として使用させるか、それが物理的に不可能(報道では、既に会場を他に貸し出していたとのことですが)であれば、自らの責任で他の会場を確保して教研集会を滞りなく行わせる、ということしかないと思われますが、そういったことをせず、単に、使用を拒絶してしまった、というのが実際のホテル側の対応です。警備上の懸念は、すぐ近くにある高輪警察署、警視庁とも十分協議し、必要があれば、大量に機動隊を投入するなど、打てる手はいろいろとあるはずです。
このようなホテル側の対応には、契約というものを非常に軽く見て、都合が悪くなり、正当化できるような理由があれば、勝手に破棄しても構わない、という、ある意味で日本的な契約観が垣間見えるような印象を受け、また、この問題について、ホテル側の対応を擁護する立場の人々の論調にも、おそらく無意識の中のものとは思いますが、そういった契約観を感じさせるものがあります。
このような契約観の根底には、宗教を含む日本人の考え方の問題もあるように思われ、その点は、また別の機会にコメントすることもあるかもしれませんが、このような契約観が主流となった社会では、物事を臨機応変に進められるというメリットもある一方、約束したこと、決まったことがきちんと守れず、守れなくても構わない、ということが常に起きる可能性があり、予測可能性が担保されない社会、ということにもなってしまいます。約束したことや決まったことが守れない、ということは、コンプライアンスが実践できない、ということでもあり、やはり、メリットよりもデメリットのほうが大きいのではないか、と思わずにはいられません。
今後、グランドプリンスホテル新高輪を利用しようとする人は、きちんと予約していても、常に、ホテル側の勝手な事情で利用できなくなって、行っても宿泊できない、レストランを利用できない、結婚式を行うはずだったのに会場がなくなってしまった、裁判所に訴えて使用させることを命じる仮処分決定や判決が出ても、それでもホテルは従わない、というリスクに、常にさらされている、ということを、よく覚えておいたほうが良いでしょう。
このような考え方は、グランドプリンスホテル新高輪特有のものというよりも、プリンスホテルグループ全体で共有している可能性が高く、他のグループホテル、施設の利用についても要注意です。
日本の法秩序というものに反旗を翻す危険極まりないホテル、ホテルグループである、ということを満天下に宣言してしまった、ということの持つ重大な意味を、関係者は、今後、徐々に強い後悔の念とともにかみ締めることになるような気がします。