司法試験の勉強を始めて半年、という大学生の方から、メールで次のような質問がありました。
刑法の勉強をしていて疑問に思いました。
司法試験の刑法で出てくるたくさんの学説は司法修習や実務でも必要な知識なんでしょうか??
それとも判例・通説の団藤・大塚ベースの学説(予備校説?)で足りるんでしょうか??
誤解を恐れずにいえば、新司法試験では判例・通説でも足りると予備校講師が言っていたので疑問に思いました。
明解、簡潔に答えるのが難しい質問ですが、私の考えは次の通りです。
刑法、という法律は、何をもって犯罪とするか、それに対し、国家刑罰権をいかにして発動するか、ということが問題になるだけに、物事に対する本質的な思考、検討が必要になる度合いが強く、かつ、体系的思考、というものを避けて通れないように思います(いたずらに抽象に走らない「問題的思考」も必要ですが)。
そういった法律を勉強する上で、特定の学説をベースにして体系的に学び、他の学説も適宜参照するメリットはかなり大きく、そういった学び方をしないと、本質的な思考、検討を行う力がなかなか身につかないように思います。その意味で、「たくさんの学説」は、メリハリはつけつつも、ある程度、必要な素養でもあり、マスターしておく必要はあるでしょう。判例、通説と言っても、突然、降ってわいたものではなく、様々な考え方が主張される中で生成されてきたものであり、上記のような勉強の中で判例、通説も学ぶほうが、より身につくように思います。
実務に入ると、学んだ知識の中で、判例、通説、といったことが俎上に上ることが多くなりますが、何が判例か、ということは、かならずしも明確ではない場合もあり、また、通説と言っても、少数説が通説化したり、また、逆の場合もあって、判例、通説と言われるものの周辺、背景というものを知っておかないと、底の浅い分析、あてはめしかできない陳腐な実務家、ということになりかねません。
その意味で、表面上は判例、通説で動いているように見える実務、実務家であっても、それまでに学んできた種々の学説、といったことは、問題点にもよりますが、かなり役立っている、と言っても過言ではないと思います。
司法試験対策、という意味では、まず、判例とか通説をきちんと押さえ、理解する、ということが不可欠ですが、特に、刑法については、上記のような特徴があり、やはり、判例、通説を重視しつつも、特定の学説をベースにして、「自説」というものを体系的に確立して行く、他説も学ぶ、という勉強法が、今でも有効ではないか、というのが私の意見です。
ただ、実務は学説で動いているわけではなく、司法試験合格後は、頭を切り替え、事件とか問題点に直面し検討する際には、実務がどういった考え方で動いていて(通説)、どういった判例があるのか、といったことを、まず検討する、という習慣をつけるべきです(そうしないと対応できないので、自ずとそういう習慣が身につきますが)。