安土桃山末期の強固な石垣 岡崎城で発見、国内4番目の規模

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007110490073254.html

関ケ原の戦い(1600年)以前の城郭では高さと長さでは類を見ない総石垣造りの上、石垣は天守から500メートルも離れており、日本の城としては江戸城、豊臣政権下の大坂城、拡張を繰り返した幕末の姫路城に次いで4番目に巨大な城だったことが証明された。

三浦教授によると、野面の乱積みによる犬走りの構造は、城造りのピークを迎えていた1608(慶長13)年以前の形式。当時の築造技術では高い石垣が造れず、築かれた場所は低湿地など地盤が軟弱な土地だったことから、犬走りを設けて2段にして補強した。「関ケ原以前の城郭では二の丸の外側にこのような石垣は造っておらず、大変貴重」という。

岡崎城には、名古屋地検に勤務していた当時に行ったことがあります。徳川家康が、浜松城へ移るまでに拠点としていた城であり、当時の戦略上での位置としてもかなり重要であったことが、上記の記事にあるような大規模な石垣からも強くうかがわれるように思います。
民間のマンション建設予定地で、そのままの保存は困難であるようですが、学術調査はできるだけ行い、一部であっても他の場所で保存する方向で検討してほしいと思います。