秀吉最後の城、幻の「京都新城」初めて出土 逸話に沿う石垣破却、桐や菊文様の金箔瓦

秀吉最後の城、幻の「京都新城」初めて出土 逸話に沿う石垣破却、桐や菊文様の金箔瓦(京都新聞) - Yahoo!ニュース

滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)の話
書き残された文献が少ない幻の城だけに、発掘調査で立地を確定的にできた意義は大きい。まだ片りんが見えたにすぎないが、豊臣秀吉が平安宮跡でかつて築いた関白の城「聚楽第(じゅらくてい)」に匹敵する規模や構造だった可能性がある。息子・秀頼への後継に向け、新城を藤原道長の土御門第跡にあえて築き、関白に就く豊臣家の家柄や権勢を象徴的に示そうとしたのではないか。

 豊臣秀吉が、息子秀頼に関白を継承させ、天皇の権威の下で自らの権力基盤を継承させたいと考えていた、その一環としての「新城」であったのでしょうか。持てる実力としては、徳川家康が凌駕していることは、秀吉自身、十分に理解していたはずであり、そうであるからこそ、弱さを補うものとして天皇の権威、関白としての地位に期待していたような気がします。しかし、武家の棟梁と関白が、二重権力として並列するとは考えにくいものがあり、権力としての武家の棟梁(家康)と権威としての関白(秀頼)という棲み分けを考えていたのではないかとも思われるものがあります。それが成功していれば、豊臣家は滅ぶことなく、権威としての関白家としての存続もあり得たでしょう。

今後の研究により、京都新城の実態、想定されていた秀吉死後の支配体制が解明されることに期待したいと思います。