帰還できないことを覚悟していた山村新治郎・運輸政務次官(よど号ハイジャック事件)

1970年に発生した「よど号ハイジャック事件」(日本初のハイジャック事件)で、当時の山村新治郎・運輸政務次官が、乗客の身代わりの人質となり、単身、よど号に乗り込み韓国から北朝鮮へ行ったことは、あまりにも有名ですが、昨日の朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記」に、よど号航空機関士であった相原利夫氏の

相原は、客室の山村が腕時計もしていないことに気づき「帰れないと覚悟している」と感じたことが忘れられない。山村はよど号に乗り込む時、形見として時計も財布も韓国に残してきていた。

という体験談が紹介されていました。
以前、本ブログでも

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060831#1156952325

とコメントした、吉田茂元首相のエピソードも思い起こされますが、安易に命を賭けるといったことをすべきではないものの、多くの人々の負託に応えるべき枢要な地位を占める人は、時には自らの身命を省みずその職に殉じるべき場合があるのではないかと思います。また、それだけの覚悟が持てない人は、多くの人々の負託に応えるべき枢要な地位には就かず、自分のことだけ考えて、おもしろおかしく生きて行くべきでしょう。
「職を賭して」と、さも重大な決意があるかのようなことを口にし、その舌の根も乾かぬうちに突如として政権を投げ出し、多くの人々に多大な迷惑をかけ大混乱に陥れたまま、さっさと入院してしまった、首相としても人としても、あまりにも情けない安倍首相を見るにつけ、人間としての真の覚悟とは何か、ということを、改めて考えさせられます。