<本能寺の変>焼け瓦や焼土を確認 史実示す初めての遺構

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070807-00000075-mai-soci

京都市文化財保護課などによると、堀跡は長さ約20メートルで、L字形で幅約6メートル。高さ約1メートルの石垣で護岸されていたが、石垣の上に土塀が巡らされていたと考えられる。

本能寺は武装や防備、寺院外での布教を禁じられていた。専門家によると、堀と石垣という城郭の性格を持つ施設は、寺院が造ったものではなく、信長の京都での拠点として造られたと考えられる。

本能寺の変を描いたドラマなどでは、いかにも「寺院」という描かれ方がされているのが普通だと思いますが、実際は、ちょっとした城郭施設のようになっていたのでしょう。今後の研究により、本能寺や、同種の施設の全貌が明らかになることを期待したいと思います。
以前、

本能寺と信長

本能寺と信長

で、本能寺の変に至るまでの同寺の歴史を興味深く読みましたが、改めて読んでみたくなりました。