本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意

読めば読むほど興味が尽きない本能寺の変ですが、この本では、信長公記をベースにして、あくまで明智光秀の単独によるものとして、最近、流行の謀略説(中にはイエズス会黒幕説というものまでありますが)を否定しています。
いくつか、こういった本を読んでみた感想として言うと、明智光秀としては、高齢(60歳代後半であったようです)で嫡子も幼く(10歳余り)、猜疑心が強い信長により家中の武将が追放されたり謀反を起こし自滅したりしている中、自らの今後への不安や、中世的な価値や制度を否定する信長への不満が高まっていたところに、信長が本能寺で無防備な状態のまま滞在し、明智軍が中国地方へ大軍を率いて向かう途中に京都を通過しても怪しまれることがないという、千載一遇の絶好の機会が訪れたことで、戦国武将らしい「天下」への野心も相まって、一気に決断し一気に決行した、というのが真相ではないかという印象を強く持っています。
背後で黒幕として操っていたり、連携していた者がいれば、明智光秀が敗死した後、隠ぺいしきることができたとは考えにくく、追及され処罰可能な者は処罰されていたはずであり、いろいろと言われている黒幕説は、完全に否定はできないものの(だからこそいろいろと言われるわけですが)、やはり無理があると言うしかないでしょう。
信長としては、天下への野望が正に実現しようとしていた、その時に、致命的な油断があったわけで、上記の本の中でもその意味が検討されている、光秀の謀反を知った時に信長が発したとされる、有名な「是非に及ばず」という言葉にも、そうした、自らの油断ということが念頭にあったのではないかという気がします。
人は、調子が良い時、得意になっている時こそ、自重自戒し油断してはならないということでしょう。