音楽保存サービス ストレージ利用は著作権侵害 東京地裁(続)

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070527#1180196927

でコメントした事件ですが、判決文が

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070528141551.pdf

で紹介されていたので、読んでみました。
感想(「解説」ではなく)は、おって、本ブログで書いておきたいと思っていますが、結論として言うと、本件の具体的なサービス内容(利用者が音源データをアップロードし携帯電話にダウンロードできるという一体としてのサービス)に即して、サービス運営者が音楽著作権の複製の主体であり、かつ、自動公衆送信を行っているのもの、と判断されていて、ストレージサービス全般(一般的には上記のようなサービスではなく単に「預かっている」に過ぎず、複製の主体は各利用者で、自動公衆送信も行われない)において、利用者が著作物を無許諾でアップロードすることが全面的に違法と判断された、と見るのは、行き過ぎた(換言すれば誤った)見方ではないか、と思いました。

追記:

今後、私のような著作権法を専門としない者ではない、より適切な方々による評釈等が出ると思いますので、とりあえずの感想ということで。
問題点としては、

1 問題となっているサービスにおける音楽著作権複製の主体は誰か
2 サービス運営者が「自動公衆送信」を行っていると言えるか

に大別されると思われます。
まず、1ですが、これについては、サービスの具体的内容というものを、まず見ておく必要があります。これについては、判決文でも詳細に認定されていますが、

原告との間で会員登録を済ませたユーザは、原告の提供する本件ユーザソフトをパソコンにインストールし、これを用いて楽曲の音源データを携帯電話で利用できるファイル形式に変換して本件サーバにアップロードし、これを携帯電話にダウンロードする。
このように、本件サービスは、楽曲の音源データを本件サーバから携帯電話にインターネット回線を経由してダウンロードし、ユーザが携帯電話でいつでもどこでも音楽を楽しめることを目的としている。
(判決書18ページ)

とされています。
そして、判決では、複製行為が行われること自体は争いがない、とした上で、その主体について、サービスが有償であることや、本件サーバにおける複製は、音源データのバックアップなどとして、ファイルを単に保存すること自体に意味があるのではなく、最終的な携帯電話での音源データ利用に向けられ、本件サーバのストレージが、利用者のパソコンと携帯電話を「中継」する役割を果たしていること(しかも、このような作業を個人で行うのは技術的に相当困難)、運営者がサーバ等の装置一式を所有、管理し、利用者は運営者が設計したシステムに従って利用するかしないかの選択しかできず、複製行為は、あくまで運営者の管理下にあるサーバにおいて行われていることなどを指摘し、複製の主体を利用者ではなく運営者であると断定しています。
このような判断については、当然、異論もあるところですが、裁判所の判断にあたっては、上記で引用したようなサービスの特質がかなり重視されていることは明らかであり(27ページで「本件サーバにおける複製は、音源データのバックアップなどとして、ファイルを単に保存すること自体に意味があるのではなく」と強調されています)、ストレージサービス全般を念頭に置いたものではなく、問題となっているサービスの特質に注目している、ということを見逃すべきではないでしょう。
したがって、ストレージサービス全般において、利用者が著作物を無許諾でアップロードすることが全面的に違法と判断された、と見るべきではなく、その種のサービスにおいて、通常、複製行為の主体は各利用者であって、私的使用のための複製(著作権法30条1項)の範囲内であれば、権利者の許諾がなくても違法にはならない、と見るべきでしょう。
次に、2の自動公衆送信の問題ですが、サービスの流れの中で、サーバから利用者の携帯電話へファイルがダウンロードされる点が、運営者が主体となった自動公衆送信と言えるかどうかについて、判決はこれを肯定しています。
「主体」性については、上記のような複製行為の主体の認定とパラレルの理屈になっていますが、このような行為(特定の利用者がアップロードしたファイルは、その特定の利用者しかダウンロードできない仕組みになっている)が「自動公衆送信」と言える、ということについて、判決は、このサービスが、インターネット接続環境にあるパソコンと携帯電話を有する利用者が所定の会員登録を済ませれば誰でも利用でき、運営者側が利用者を予め選別、選択できないことを指摘した上で、

「公衆」とは、不特定の者又は特定多数の者をいうものであるところ(著作権法2条5項参照)、ユーザは、その意味において、本件サーバを設置する原告にとって不特定の者というべきである。
(判決書34ページ)

と断定し、ファイルの携帯電話へのダウンロードが、「公衆たるユーザからの求めに応じ、ユーザによって直接受信されることを目的として自動的に行われる」(判決書34ページ)「自動公衆送信」に該当する、とされています。
この点については、本ブログのコメント欄でも、また、町村教授のブログ

http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2007/05/jugement_ed2a.html

でも疑問が呈されていますが、常識的な見地に立った場合、特定の利用者がアップロードしたファイルは、その特定の利用者しかダウンロードできない仕組みになっているにもかかわらず、上記のような理屈で、「ユーザは、その意味において、本件サーバを設置する原告にとって不特定の者というべきである。」と言ってしまって本当に良いのか、という問題は当然生じます。
私自身は、判決の理論は、やはり、おかしいのではないかと思っています。最近、購入した最新の

著作権法 第3版

著作権法 第3版

では(38、39ページ)、公衆送信権が新設された経緯について、その元となったWIPO著作権条約が、8条で、著作物の「公衆への伝達」(communication to the public)許諾に関する排他的権利が存することを定め、その権利の中に「公衆の構成員が個々に望んだ場所から、望んだ時にアクセスできるように、著作物を公衆に利用可能な状態にすること(the making available to the public)を含む旨定めたことが解説されています。このような立法趣旨や、

communication to the public
the making available to the public

の字義を考えたとき、本件のような「特定の利用者がアップロードしたファイルは、その特定の利用者しかダウンロードできない仕組み」は含まない(to the publicではない)、と解するのが、自然かつ合理的であると考えます。
判決の論理は、上記のような特質を無視し、伝達される情報というものを「伝達される情報全体」と捉え、伝達される対象が「不特定」だから公衆へ向けて送信される、という誤った論理に立脚しているとしか思えません。
複製行為の主体に関する判断は、最近、本ブログでも

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070331#1175269522

とコメントした過去の事件に関する裁判所の判断に照らし、やむをえないものではないか、という印象を受けますが、ストレージサービス全般に適用されるものではなく、また、自動公衆送信であることを肯定した判断には問題があり、今後、上級審における更なる検討を強く期待したいというのが、私の感想です。