映画「フィクサー」

http://www.fixer-movie.com/

最近、映画を観ていなかったので、息抜きも兼ねて観てきましたが、ジョージ・クルーニーの格好良さでかなりもっている映画だな、という印象を受けました。ストーリーは、つまらなくはないですが、よくあるお話で、新味は感じられませんでした。最近の映画はどれもそうですが、時間がやや長すぎで、あの内容であればもう少し短くまとめてほしいと思いました。だらだらと長いだけの弁論や証人尋問を聞かされる裁判官の気持ちが、何となくわかるような気がします。
ジョージ・クルーニー演じる主人公の弁護士は、日本で言うところの「ヤメ検」で、裏街道を歩いているところや、携帯電話で話しながらふらふらしているところが、やや私に似ているような気がしました。もちろん、私はあのように格好良くはなく、見た目もうだつがあがりませんが。
映画では、大法律事務所で無理な仕事を強いられている弁護士の悲劇も描かれていて、大事務所、高い給料、立派な設備に美人秘書等々、目に入る範囲のものにつられているような人々は、目に見えない、関係者が語ろうとしないところにこそ危うい本質が隠されている、ということを、この映画から少しでも感じ取ると良いかもしれません。

藤田弓子 迫真演技で“騒音おばさん”

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/04/17/11.html

奈良県の主婦が大音量の音楽で近隣住民に精神的苦痛を与え05年に傷害容疑で逮捕された「騒音おばさん事件」をほうふつさせる。ドラマでは近隣住民が殺される事件が発生し「迷惑おばさん」が容疑者となる。

私も、随分多くの被疑者、被告人を見てきましたし、本ブログでもかなり多くの事件を取り上げてきましたが、あの「騒音おばさん」ほど、キャラが立った犯罪者は珍しいと思っています。「引越し!引越し!」と絶叫しながら、鬼気迫る形相で布団を叩きまくる姿は広く知られていますが、やったことはいけないことではあるものの、日本の犯罪史上で異彩を放つ存在であることは間違いないでしょう。

私も元・名ばかり管理職(続)

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080416#1208342642

で、

そういった苦労が報われることもなく、現在に至っていて、私も名ばかり管理職の1人だったな、と、この種のニュースを見ると思うことがあります。

とコメントしたことがありますが、近く、司法修習生と懇談する機会もあるので、どういう人が、検察庁内で、私のように「そういった苦労が報われることもなく」終わり、どういう人が、苦労が報われて栄達の道を歩むのか、ちょっと述べてみたいと思います。
まず、検事に任官するまでの、司法試験に若年合格しているかどうか、司法試験や2回試験(司法研修所の卒業試験)の成績が良いかどうか、司法修習中における検察教官や検察実務修習指導官から上がってくる情報等を総合して、任官する時点で「第一次選抜」のようなものが行われていると見て良いでしょう。ここで見込まれた人は、その後、捜査・公判の現場から早々に引き上げられて、海外留学したり、法務省刑事局に勤務したりして、「法務・検察エリート」の道を着々と歩み始めることになります。その後、よほどの失敗がない限り、認証官、大地検の検事正、最高検の部長くらいにまでは昇進することが約束された人々と言っても良いでしょう。
そのような人々以外が、「その他大勢」で、私もその中に入っていたわけですが、ざっくりと分類すると、

1 非常に仕事がよくでき、東京地検特捜部勤務を中心とするコースを歩むグループ
2 1ほどではないが、仕事が堅実にこなせて、一般の刑事事件を担当することが中心となるグループ
3 仕事ができない、あるいは、1や2に本来所属するものの健康を損ねたりして十分な仕事ができないグループ

に分けられるのではないか、と思います。公安事件が多かった時代には、1のグループが公安部にも配属されていましたが、最近は公安事件が少なく、公安部が刑事部化している傾向があり、2のグループが公安事件も担っているのが実情でしょう。
また、昔は、公判というのは検事が記録を運んで出してくるところ、記録の運び屋、という誤った認識が持たれていた時代があって、3のグループが公判担当になりやすい傾向がありましたが、最近は公判の重要性、困難性が強く認識されていますから、そういうことはなくなっています。
1や2の人々の中には、本省勤務にも適性がある、という人も当然いて、捜査・公判の現場から離れて本省勤務が間に入ったり、そういった勤務が比較的長くなる、という場合もあります。2の中の、特に優秀な人は、1と極めて近いものがあり、特捜部(特別刑事部)と刑事部を行き来するようなコースを歩む場合もあります。1や、2の中の優秀な人々が、認証官、大地検の検事正、、最高検の部長くらいまで昇進することになると言ってよいと思います。
どこの組織にもいますが、3のような人もいて(健康を損ねたような場合は気の毒なのですが)、次第に日の当たるところにはいられなくなって、地方の支部長、高検の平検事あたりでくすぶっている、ということになりがちです。そのうち、いつの間にか消えて行くことになります。
3はともかく、法務・検察エリートや、上記の1、2にいても、最もやってはいけないことは、上にたてつく、自分の意見をずけずけと言う、組織の方針を批判する、といったことでしょう。こういうことをやると、一気に、組織の中で働けない、協調性がないタイプ、というレッテルが貼られ、3に準じる位置付けになります。長いものには巻かれる、泣く子と地頭には勝てない、といった、日本古来から言い古されてきた処世訓が、検察庁という組織ほどあてはまるところはない、と言っても良いでしょう。表向きは、何でも自由に意見を言って下さい、などと検事正等が検察庁職員に言っていても、それを愚かにも真に受けて自由に意見を言ったりすると大変なことになってしまいます。
私が、検察庁から、以上の中のどの辺に位置付けられていたかは、本ブログを継続的に読んでおられる方であれば、大体察しがつくでしょう。

参考:「検事正の権限」

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20061006#1160062626

プリンスホテルが始末書提出 日教組への謝罪なし

http://www.asahi.com/national/update/0415/TKY200804150270.html

ホテル側は同区に対して、法令の順守や社員教育の徹底、再発防止のために営業管理部門を新設したことを記した業務改善策を4日に提出。さらに15日は違法行為を認め、区への謝罪などが書かれた文書を出した。

指導を受けた後、渡辺社長は「区の指導を真摯(しんし)に受け止めて反省する」と語ったが、日教組に謝罪するかどうかについては、「(係争中の日教組との)裁判の中で話す」と述べるにとどまった。

違法行為に及んだことについて、港区には謝罪しても、直接の被害者には謝罪しない、というところが、「反省」の欺瞞性や、相手により何とでも対応を変える「カメレオン性」を如実に示していると言えるでしょう。やはり、「グランドカメレオンホテル新高輪」と改名し、ホテル全体をカメレオンらしく七色くらいに塗り分け、ホテル中に、「嘘も方便」等の、このホテルにふさわしい言葉を額にでも入れてかけ、ホテル内の店の名前も、「清水」「桃李」などという、いかにもふさわしくない名前はやめ、「二枚舌」「猫かぶり」等のふさわしい名前に変える、というのが良いと思います(何を食べさせられるかわからず、それはそれで怖い気がしますが)。このホテルを利用するにふさわしい人々が集まって、意外と繁盛するかもしれません。
トップに法令を遵守する気がなく、カメレオンそのものであるのに、教育の徹底とか、新部門設立などと言っても、単なるお題目、アリバイ作りでしかありません。

同期の裁判官の退官

私と同期(司法修習41期)で、同じクラスでもあった横山巌さんが、今年の3月末日付けで裁判官を退官されたとのことで、ご挨拶のお手紙をいただきました。今後、大阪で弁護士登録されることになるようです。
お手紙の中で、「これからは、高校2年生の時、法律家になるんだと決意した原点に立ち返り、在野法曹としての道を歩んでいきます。」とあり、真面目な姿勢が強く感じられると共に、是非とも頑張っていただきたいと思いました。
どういった分野を手掛けられるか、まだ聞いていないのでわかりませんが、裁判官として19年もの間、様々な分野の様々な事件を担当されていて、今後、かなりの活躍が期待できそうです。