私も元・名ばかり管理職(続)

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080416#1208342642

で、

そういった苦労が報われることもなく、現在に至っていて、私も名ばかり管理職の1人だったな、と、この種のニュースを見ると思うことがあります。

とコメントしたことがありますが、近く、司法修習生と懇談する機会もあるので、どういう人が、検察庁内で、私のように「そういった苦労が報われることもなく」終わり、どういう人が、苦労が報われて栄達の道を歩むのか、ちょっと述べてみたいと思います。
まず、検事に任官するまでの、司法試験に若年合格しているかどうか、司法試験や2回試験(司法研修所の卒業試験)の成績が良いかどうか、司法修習中における検察教官や検察実務修習指導官から上がってくる情報等を総合して、任官する時点で「第一次選抜」のようなものが行われていると見て良いでしょう。ここで見込まれた人は、その後、捜査・公判の現場から早々に引き上げられて、海外留学したり、法務省刑事局に勤務したりして、「法務・検察エリート」の道を着々と歩み始めることになります。その後、よほどの失敗がない限り、認証官、大地検の検事正、最高検の部長くらいにまでは昇進することが約束された人々と言っても良いでしょう。
そのような人々以外が、「その他大勢」で、私もその中に入っていたわけですが、ざっくりと分類すると、

1 非常に仕事がよくでき、東京地検特捜部勤務を中心とするコースを歩むグループ
2 1ほどではないが、仕事が堅実にこなせて、一般の刑事事件を担当することが中心となるグループ
3 仕事ができない、あるいは、1や2に本来所属するものの健康を損ねたりして十分な仕事ができないグループ

に分けられるのではないか、と思います。公安事件が多かった時代には、1のグループが公安部にも配属されていましたが、最近は公安事件が少なく、公安部が刑事部化している傾向があり、2のグループが公安事件も担っているのが実情でしょう。
また、昔は、公判というのは検事が記録を運んで出してくるところ、記録の運び屋、という誤った認識が持たれていた時代があって、3のグループが公判担当になりやすい傾向がありましたが、最近は公判の重要性、困難性が強く認識されていますから、そういうことはなくなっています。
1や2の人々の中には、本省勤務にも適性がある、という人も当然いて、捜査・公判の現場から離れて本省勤務が間に入ったり、そういった勤務が比較的長くなる、という場合もあります。2の中の、特に優秀な人は、1と極めて近いものがあり、特捜部(特別刑事部)と刑事部を行き来するようなコースを歩む場合もあります。1や、2の中の優秀な人々が、認証官、大地検の検事正、、最高検の部長くらいまで昇進することになると言ってよいと思います。
どこの組織にもいますが、3のような人もいて(健康を損ねたような場合は気の毒なのですが)、次第に日の当たるところにはいられなくなって、地方の支部長、高検の平検事あたりでくすぶっている、ということになりがちです。そのうち、いつの間にか消えて行くことになります。
3はともかく、法務・検察エリートや、上記の1、2にいても、最もやってはいけないことは、上にたてつく、自分の意見をずけずけと言う、組織の方針を批判する、といったことでしょう。こういうことをやると、一気に、組織の中で働けない、協調性がないタイプ、というレッテルが貼られ、3に準じる位置付けになります。長いものには巻かれる、泣く子と地頭には勝てない、といった、日本古来から言い古されてきた処世訓が、検察庁という組織ほどあてはまるところはない、と言っても良いでしょう。表向きは、何でも自由に意見を言って下さい、などと検事正等が検察庁職員に言っていても、それを愚かにも真に受けて自由に意見を言ったりすると大変なことになってしまいます。
私が、検察庁から、以上の中のどの辺に位置付けられていたかは、本ブログを継続的に読んでおられる方であれば、大体察しがつくでしょう。

参考:「検事正の権限」

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20061006#1160062626