「もう管制できない」ニアミス逆転有罪、現場に衝撃

http://www.asahi.com/national/update/0411/TKY200804110284.html

「明日からというか、今日から管制業務はできない」。籾井康子被告は判決後の会見で、現場への影響をこう語った。一瞬の「言い間違い」が厳しく断じられた点について、「現場に不安と緊張を強いるもの。安全にとって有害」と声を詰まらせた。

私自身の考え方は、現行の過失犯処罰規定のうち、単純過失(業務上の単純過失を含む)によるものは原則として罰金刑を上限とし、体刑を科すのは重過失がある場合に限定すべきである、というものですが、それはそれとして、航空管制官という「プロ」でありながら、自らの、プロとしてあってはならないミスを上記のように言う被告人の言は、いただけないな、と思いますね。
高裁の判決要旨を読んでみましたが、上記の「言い間違い」が発端となって重大なニアミスが発生したこと、この言い間違いがなければ重大なニアミスはあり得なかったという、ごくあたりまえのことを指摘し、有罪判決という結論を導いていて、1審の無罪判決の論理が非常にわかりにくかったのに対し、わかりやすい内容になっていて、私は納得できました。
航空管制業務が、常に緊張を必要とする重要なものであることは当然のことで、航空管制官に過重な負担を強いるべきではなく、ヒューマンエラーを防止し、万が一、そういった事態が発生しても重大な結果を回避できるだけのフェイルセーフ機能を充実させることは今後とも必要不可欠ですが、多少のミスは大目に見てくれ、といったことをプロが語るようでは、プロとしての資格はない、と言われても仕方がないでしょう。

追記:

判例時報2008号133頁(高裁判決)
判例時報2024号・判例評論(平成21年2月1日・第600号 土本武司

大阪書籍社長、23億円流用か 教科書大手

http://www.asahi.com/national/update/0412/OSK200804120031.html

同社は1909(明治42)年創業の老舗(しにせ)。10日に大阪地裁に民事再生法の適用を申請した。少子化による生徒数の減少や教科書価格の引き下げで、主力の教科書事業が苦戦を強いられる中で、新たに参入した不動産事業の失敗が引き金となり、行き詰まった。

教科書事業というものは、利益が少ないとしても確実に売上が確保できるもので、なぜ破綻したのか不可解でしたが、この記事を読んで、背景や原因が理解できました。昨年6月に外部から招かれた、不動産業界出身という社長にかなり問題があったようですが、教科書の会社が畑違いの不動産業に進出したところで、既に破綻の種が確実にまかれていたと言えるように思います。
世の中それほど甘くない、餅は餅屋、金に目がくらんでやったこともない畑違いの分野に安易に手を出したりすべきではない、ということでしょう。

東大生に「親離れを」 入学式祝辞で安藤忠雄氏

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008041101000400.html

安藤さんは祝辞の中で「自己を確立しない限り独創心は生まれない」と強調。「自立した個人をつくるため親は子どもを切り、子は親から離れてほしい」と訴えた。
これに先立つ式辞で小宮山宏学長も「新入生の幼いころを思い返し感慨もひとしおと思うが、入学式は親離れをして独立し、自らの道を切り開く旅立ちの日。温かく見守ってほしい」と父母らに呼び掛けた。

この記事を読んで、自分が大学の入学式に臨んだときのことが思い出されました。安藤氏や小宮山学長には、「過保護」「親離れしていない」と言われるかもしれませんが、母親が広島から上京して、入学式に出席し、その前後で、東京での生活を始めるにあたり必要なものを買い揃えたりもしてくれました。当時は、気恥ずかしい、照れくさい気持ちのほうが強かったことを記憶していますが、今思い起こしてみると、その後は大学生活や司法試験の勉強等で、実家に帰省する機会もあまりなく、親と接する機会も減るばかりで、入学式当時のことは良い思い出になっています。
東大の新入生の方々も(東大生だけでなくすべての大学新入生も、ですが)、自分が今あるのは自分だけの力によるものではなく、自分を支え励ましてくれた多くの人々あってのことであることを十分認識し、謙虚さを忘れないようにしつつ、今後は自立した大人として社会に貢献し、自己実現を図れるよう、是非とも頑張ってほしいと思います。

刑法105条の2にいう「威迫」の方法(最高裁第三小法廷平成19年11月13日決定・判例時報1993号160頁)

暴行罪で起訴された被告人が、1審公判で証言した証人に対し、公判係属中、不安、困惑の念を生じさせる文言を記載した文書を郵送して閲読させたという行為につき、証人威迫罪が問題となった事案について、

刑法105条の2にいう「威迫」には、不安、困惑の念を生じさせる文言を記載した文書を送付して相手にその内容を了知させる方法による場合が含まれ、直接相手と相対する場合に限られるものではない

との判断が示されています。
判例時報のコメントで指摘されているように、暴力行為等処罰に関する法律の中にある「面会強請」「強談威迫」が、直接相手方に対して行われる必要があると解されていることとの関係で、同じ文言が使用されている証人威迫罪においてはどうか、ということが問題になります。
最高裁は、上記のような判断を示したわけですが、証人威迫罪の保護法益を考えると、直接相手と相対する方法以外の方法により威迫する、ということによっても法益は同様に侵害されますから、この判断は妥当でしょう。
同罪の「面会強請」について、直接相対する方法以外は含まないとした高裁判例があることが、判例時報のコメント欄で紹介されていますが、上記の決定はそこまでは判断していないものの、直接相対する方法以外の「面会強請」も含む、と、今後、最高裁によって判断されることになる可能性はありそうです。

統制環境読本 「脱文書化3点セット」で内部統制が変わる!会社が変わる!

統制環境読本 「脱文書化3点セット」で内部統制が変わる!会社が変わる! (コンプライアンス選書)

統制環境読本 「脱文書化3点セット」で内部統制が変わる!会社が変わる! (コンプライアンス選書)

共著者の1人であるトーマツの丸山満彦さんから1冊おくっていただきました。ありがとうございます。>丸山さん
少し読んでみましたが、この種の内部統制に関する本は、「難しいことを難しく」書きがちで、手に取るのも億劫、という印象を受けるものが多い中で、「難しいことでもできるだけわかりやすく」書こうという明確な意思が感じられ、読みやすく、なかなか良いという印象を受けました。
私の場合、「リスク」を管理することに失敗してしまった方々の依頼を受けることが多く、どうしても、ああすればよかった、こうしておけばよかった、などという、「後悔先に立たず」的な話になることが多いのですが、同書中(92ページ以下)で、「不正のトライアングル」という理論が紹介されていて、人間が不正を働くのは、

1 動機・プレッシャー
2 機会
3 正当化

という3つの要因が揃った時である、とされていて、言い古された面はありますが、分析の視点としてはその通りであると思いました。
3の「正当化」は、狭い意味での正当化(これくらいはいいんだ、という心理)だけでなく、実際の問題行為においては、問題行為が発覚しない、隠ぺいできる、それらに失敗しても最終的に責任を免れることができるという、そういった心理も含めて考えるべきではないか、と、「後悔先に立たず」の世界を見ることが多い私は感じました。

勤続25年無事故 死亡の関谷さん 力振り絞り最後までブレーキ

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008041202003198.html

熊谷支店長によると、事故の際、タイヤの直撃を受けながらもハンドルを放さず、自力でブレーキを踏んでいるのを同乗の女性バスガイドらが見ていたという。バスは蛇行することなく停車した。
熊谷支店長は「運転技術もさることながら、いつもお客さんを第一に考えていた彼らしい」と無念さをにじませながら、最後の行動をたたえた。

東名高速道路ではずれたタイヤの直撃を受け亡くなったバス運転手の方ですが、上記のような事故の状況を見ると、自身の身を守ることを優先していれば運転席から素早く離れ生命が助かったのではないか、乗客のことを考えハンドルを握り続け運転席から離れなかったことで、避けられないままタイヤの直撃を受けてしまったのではないか、と思わずにはいられません。
事故当日が誕生日であった、という偶然も、お気の毒としか言いようがありませんが、最後までプロとしての職責を全うしたその姿は、立派であり賞賛に値すると思います。