米国で著名ブロガー死亡相次ぐ 日本でも「ドクターストップ」発生

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080410-00000001-jct-sci

なかでも競争が激しいのはテクノロジーやニュースについてのブログで、企業のスキャンダルや新製品ニュースをスクープするために「劣悪な24時間競争」の只中にあるという。仕事で体重が増減したり、不規則な睡眠を強いられたり、過労で病気になったりといったブロガーの声や、テクノロジーのブログとして有名な「TechCrunch」の運営者が「神経が参ってしまって病院にいく事になりそうだ」「耐えられない」と漏らす姿も報じられている。

新聞社、放送局等であれば、多数の人員を配置して24時間態勢で取材、報道を行うことができますが、「ブロガー」は、所詮、零細な個人事業主でしかないので、無理をすればするほど、睡眠時間は削られ過労に陥って、極端な場合には死にも至るでしょう。無理をしてはいけませんし、無理をしなければやっていけないレベルでブログを運営、継続しようとするのが間違いだと思います。
私は、無理はしていませんし、今後も無理をするつもりはなく、淡々とブログを続けるつもりです。

検察官メモも開示対象 初の司法判断、大阪地裁

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080410/trl0804101245005-n1.htm

最高裁は昨年12月、警察官の取り調べメモについて「警官には捜査の詳しい記録が義務付けられており、これに基づく備忘録やメモは個人的な手控えの域を超えた公文書」として開示対象とする初判断を示したが、検察官メモには言及していなかった。

上記の最高裁判例については、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20071227#1198714917

等で若干コメントしましたが、警察官のメモは開示対象になるのに、検察官のメモは対象にならない、というのも、ちぐはぐであり、こういった方向は話が及んでくるのは必然、という印象を受けます。
検察官が取調べ時に作成するメモについては、特に決まりがあるわけではなく、それぞれが、いろいろな方法で作成していて、いつまで保存しているかも、人によるはずです。私の場合は、一般の事件は大学ノートに次々と書き込み、ノートが一杯になると、新しいノートを使い、一杯になったノートのほうは、記入した期間を表紙に書いて、一定期間は保存していました。その中に書いた事件について、起訴したものであればすべて判決が確定するくらいまでは保管していたと思います。そういう中で特別な事件(大きな経済事件、関係者が多い殺人事件など)については、別にノートを作って、関係者の供述をメモしたりして、そういうノートも、判決が確定するくらいまでは保管していたという記憶です。平成7年から平成8年にかけて、東京地検にいて、かなりの数のオウム真理教関係者などを取り調べた関係で、その後、平成9年に静岡地検に異動した後も、地検の公判担当検事や、控訴審での東京高検検事などから、時々、「被告人の○○が、落合検事の取調べを受けたという話をしているが、その時の状況はどうだったのか」といった問い合わせがあって、そういう時には、保管しているノートを引っ張り出して、その際の取調べ状況を説明していたものでした。
上記のような裁判所の判断が出る状況では、メモの取り方、作成後の保管期間等についても、それぞれに任せきりにするのではなく、検察庁の組織として一定の目安、基準を設けたほうがよいということになるかもしれません。

日航機ニアミスで管制官2人に逆転有罪・東京高裁

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080411AT1G1102011042008.html

この事件については、1審で無罪判決が出た際に、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060322#1142955814

とコメントしたことがあり、その中で、

ただ、素朴な疑問として感じるのは、管制官に、重大な(軽微とは言えないでしょう)ミスがあり、その後、上記の衝突防止装置(TCAS)とパイロットの判断が、絡み合った糸のような状態になって大混乱に陥り、危うく衝突、という事態が生じたことについて、「TCASが指示を出さなければ、(中略)接触・衝突する危険性は生じなかった。」などと済ませてしまってよいのか、ということでしょう。衝突防止装置というものが備え付けられた飛行機が飛んでいて、誤った管制官の指示と装置の指示がバッティングするという事態が生じてしまった場合に、その事態を作り出したとも言える管制官に過失が認められない、というのは、非常にわかりにくいですね。
因果関係の問題にしても、管制官のミスがあったからこそ、その後、様々なことが起きているわけで、否定するのは、分断的思考に過ぎるのでは?という印象を受けます。

と述べましたが、東京高裁がどのような理由で有罪認定に至ったのか、特異な事件であるだけに興味を感じます。

二・二六と聖断 阿南自決の真相(保阪正康・月刊文藝春秋2008年5月号)

テーマが衝撃的であったため、早速、読んでみましたが、「真相」が明らかになった、とまでは言えないように思いました。
ただ、「新資料」として全文が紹介されている、阿南元陸相が、2・26事件の直後に、陸軍幼年学校(東京)校長として述べた訓話は、いかにも阿南元陸相の人格、人間性、考え方といったことをよく現していると思いました。楠木正成が、自らの意見が採り入れられないからと言って後醍醐天皇の側近を斬ったりせず全力を尽くしたことや、大石内蔵助が不倶戴天の仇である吉良上野介を討ち取る際にも礼を尽くして接し武士道をないがしろにしなかったこと(2・26事件のように昭和天皇重臣らを見るも無惨に惨殺したりせず)などを例に挙げつつ、帝国陸軍軍人として2・26事件のような事件を起こすようなことがあってはならないことを懇切丁寧に、断固として教え諭していて、これを聞いた幼年学校の生徒が感銘を受けた、ということがよく理解できました。
「動機が忠臣愛国に立脚し其考えさえ善ならば国法を破るも亦已むを得ずとの観念は法治国民として甚だ危険なるものなり」「道は法に超越すと言う思想は一歩誤れば大なる国憲の紊乱を来すものなり」「道は寧ろ法によりて正しく行わるるものなりとの観念を有せざるべからず」といったことも言われていて、普遍性があり、これを聞いた幼年学校生徒の戦後の生き方にも大きな影響を与えたのではないかと思いました。
阿南元陸相については、以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20071120#1195523725
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070708#1183890987
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070505#1178351695

で触れたことがありますが、やはり、自決は、遺書にあるように自らの責任をそういう形で取った、ということと、それと同時に、陸軍大臣である自らの死によって、陸軍が昭和天皇の大御心に従い終戦へ向け結束することを図った、と見るべきではないか、と思います。
大きな犠牲を出し終戦に至った日本でしたが、阿南陸相のような人物を、終戦時の陸軍大臣の地位につけておくことができたことは、護国の神、仏といったものが、まだ日本を見捨てていなかったということではないか、とも思いました。

入門・覚せい剤事件の弁護

入門・覚せい剤事件の弁護 (期成会実践刑事弁護叢書)

入門・覚せい剤事件の弁護 (期成会実践刑事弁護叢書)

たまたま書店で見かけ、興味を感じて購入し、ざっと目を通してみましたが、私にとってはあまり目新しい部分はなく、やや物足りなさを感じました。「入門」書ですから、この分野をこれから頑張ってやって行こう、という弁護士、司法修習生などが初々しく読むには良いと思います。
巻末に裁判例がいろいろと紹介されているのは、便利で役立ちそうです。