「ドキュメント 検察官」(読売新聞社会部)

読売新聞に連載されていた記事をまとめて出版したものですが、私は、連載を読んでおらず、昨日、書店で見かけたので、早速、購入して読んでいるところです。
検察庁内部にいた者としては(と言っても、既に辞めて6年経ちましたが)、内幕はこうだ、といった部分にはあまり興味はありませんが、最初のほうで、被害者1名の殺人等の事件につき、検察庁が死刑判決獲得へ向けて着々と活動してきた状況が紹介されていて、昨日の

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060925#1159140703

をアップしたばかりでもあり、興味深く読みました。
奈良女児殺害事件については、昨日もマスコミの取材を受け話しましたが、東京高裁では既に定着している「被害者1名でも悪質な事案では死刑選択」という流れが、東京高裁管内以外でも定着して行くかという観点からも、その結果が注目されます。
自分自身の「死刑」に対する考え方は、考えれば考えるほどまとまらなくなり、同じところをぐるぐる回りながら行きつ戻りつしているような気がします。

刑務官汚職容疑者、「謝礼」すぐ預金 ローン支払いか

http://www.asahi.com/national/update/0926/OSK200609250064.html

容疑者は現金を受け取った直後、金融機関のATMから自分の口座に現金を入金し、一部をポケットにしまい込む姿が防犯カメラに映っていた。出入金記録から、同容疑者が口座に入金した額は70万円だった。

収賄事件の捜査では、収受した賄賂金の使途先の捜査を必ず行いますが、なかなか裏付けが取れなくて苦労する場合が多いですね。「やばい」金ですから、足が付くような使い方はしないのが普通です。
上記のような、非常に明確で、わかりやすい裏付けが取れると、捜査機関としては楽です。この種の金をもらい慣れていなかった、ということは言えるかもしれません。

治安悪化説に異論

http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060925/mng_____kakushin000.shtml

くぼ・ひろし 1946年、東京生まれ。70年から東京都に勤める。都立教育研究所次長、大学管理本部調整担当部長などを経て2003年8月から05年3月まで警察庁出身の竹花豊・前副知事(現警察庁生活安全局長)の下で治安対策担当部長(東京都緊急治安対策本部副本部長)。近著「治安はほんとうに悪化しているのか」(公人社)で、流布される「治安悪化説」や道徳・倫理への公権力の介入に疑義を唱えた。

私自身の感覚、認識としては、治安状況が以前よりも悪くなっていることは事実だと思います。問題なのは、治安対策、テロ対策の名の下に、我々が築き上げてきた、また、これからも築き上げようとしている自由で民主的な社会というものが大きく損なわれる危険があるということでしょう。街を歩けば監視カメラだらけ、一般市民が警察に代わって犯罪が起きないかどうかを監視、犯罪が起きれば周辺者は「幇助罪」で検挙されるのでその恐怖から日々萎縮して生活、パソコンも携帯も自由には使えない(どこかの寒い国と同様に)、といった方向で進んで行ってよいのか、ということは、今後も考えて行く必要があると思います。

奈良女児誘拐殺害、被告に死刑 地裁判決

http://www.asahi.com/national/update/0926/OSK200609260011.html

奥田哲也裁判長は「被害女児へのわいせつ行為に着手する前には強姦(ごうかん)した後に殺害することを決意していた。自己の異常な性欲を満たすための犯行であり、その動機は身勝手極まりなく酌量の余地はない。反省しておらず、矯正の可能性もない」と述べ、求刑通り死刑を言い渡した。
被害者が1人の殺人事件では、身代金や強盗などの金品目的の殺人や、殺人の前科があるといった事情がない限り、死刑適用はまれ。女児が犠牲となる性犯罪が相次ぐ中、今回の判決は、死刑適用基準を示した83年の永山則夫元死刑囚への最高裁判決以降の判例の流れより一歩踏み込んだものとなった。

昨日及び今日の、他のエントリーでも述べた通り、現在審理中の他の事件や、今後の同種事件に対する影響には多大なものがあると思います。
犯罪を憎み、犯人を厳罰に処してほしいという国民感情(私も、一人の国民としてはそのような感情を持っていますが)を、死刑適用の拡大という方向へ進めて行くべきか、進めて行くとして、どこまで進めるか、といったことは、今後も議論が必要だと思います。

女性教諭殺害を26年後に自供、男に330万賠償命令

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060926-00000311-yom-soci

永野厚郎裁判長は、男が遺体を隠し続けた行為について、「遺族が故人を弔う機会を奪い、故人に対する敬愛・追慕の情を著しく侵害した」と述べ、男に計330万円の賠償を命じた。
一方、殺人については、「民法上の時効が過ぎており損害賠償請求権は消滅した」として、賠償責任は認めなかった。

裁判所は、よく考えたな、というのが私の第一印象でした。
敬愛追慕の情の侵害ということで、従来、問題となることが多かったのは、死者に対する名誉毀損、という問題状況においてでした。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060525#1148484714
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041112#1100260039

遺体を隠し続けた行為を、遺族の故人に対する敬愛・追慕の情を侵害した不法行為と評価する、というのは、画期的と言ってもよいでしょう。
ただ、この論法を推し進めると、「敬愛・追慕の情の侵害」が広がりすぎるということにもなりかねず、適切な線引きということも必要になってくる可能性があると思います。