あとを絶たない『指導死』 苦悩する教育現場の本音

あとを絶たない『指導死』 苦悩する教育現場の本音(FBS福岡放送) - Yahoo!ニュース

教員の不適切な指導に追いつめられ、子どもがみずから命を絶つことを『指導死』といいます。

遺族の会が2007年につくった言葉です。 『指導死』とみられる事案は、平成以降に報道されたものだけで107件あり、調査にあたった教育評論家は、表沙汰になっていない事案は、さらに多いとみています。

私は昭和50年代の半ばに、中学、高校で野球をやっていたので、古いスポーツ界の雰囲気、体質がわかるのですが、かつては、罵声を浴びせる、殴る蹴る、精神的に追い込むといった指導が当たり前のように横行し、それを当然視する風潮もあったと思います。

その後、世の中は変わりましたが、そういう古い世界を引きずった人々が、年齢を重ね、指導層としてまだ残っている、変わらなければならないのに変わらず、変われず、古いスタイルで押し通していることが、上記のような問題を引き起こしているのではないかと思います。

指導に透明性を持たせ、不適切な指導が迅速に改められる体制が必要でしょうし、例えば、指導にあたっては学校関係者以外に、外部からの別の指導者も入れて、必要に応じ相談したりその指導者から誤った指導を是正させる、といったことも必要ではないかと思います。

日本社会の病弊がこういったところにも現れているという、強い問題意識を持って是正に努めるべきだと思います。

「肺がん可能性」2度報告でも医師間で情報共有されず…治療開始遅れ女性死亡

「肺がん可能性」2度報告でも医師間で情報共有されず…治療開始遅れ女性死亡(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

市病院局によると、女性は2017年12月と21年12月に骨折で入院。CT検査をした放射線診断科医が2度とも報告書に「肺がんの疑いがある」と記載した。しかし、注意喚起などはなく、当時の主治医らも報告書を確認しなかったため、女性をそのまま退院させていた。

医療過誤に関する報道を見ると、カルテ、報告書に書いたが読まれなかったので発見が遅れた、といったパターンをよく見る印象がありますが、書いておけば必ず読まれるとは限らないので、こういう時代ですから、病院内SNSでも作っておいて、気がついたことは、気づくべき人が認識するように書き込む、というシステムにはできないのでしょうか。重要度が高いことは、既読になったかどうかが送信側にわかるようにしておく、既読になった上で返信するように要請できるようにしておく、といったシステムにしておけば、読まれず、気づかれず放置される事態を最大限防止できるでしょう。

そういったことをするのに、それほど高度なシステムは必要ないはずです。

お金をかけて高度なことをするのも結構ですが、身近なところで効果的なシステムを有効に使うことも大切という気がします。

「リー・クアンユー、世界を語る」

 

シンガポール建国の父であり、長く首相を務めてシンガポールを大きく発展させ、2015年に亡くなったリー・クアンユー氏ですが、たまたまAmazonでこれを見て、Kindleで読んでみました。

政治家としての(同氏は、自分を政治家とは考えていないと言っていますが)信条、取り組み方や、中国、インドなど各国への見方などが、かなり率直な感じで語られていて、参考になるものがありました。中国の強国化を必然としつつも、うまく折り合えると述べている点は、中国脅威論が強まる中、傾聴すべきものを感じました。

特に印象的だったのは、机上の理論ではなく現実の政策で結果を出さなければならず、そのために複数の選択肢を検討し実行していくのだと述べている点で、独裁的などと批判を受けつつも、正に「結果」を出していった稀有の政治家としての信念、自信が感じられるものがありました。

インタビュー形式で、文章も至って平易で、興味ある方は読んでみてください。

 

「株式会社規範のコペルニクス的展開:脱株主ファーストの生存戦略」

 

参加しているビジネス書読書会の課題図書に指定されていたので、通読しました。実に難解な本で(元々の原文がそうなのか、翻訳がそうなのかよくわからないのですが)、かなり読むのに骨が折れましたが、何とか読み通しました。

私自身、大学法学部時代以来、会社法も勉強してきて、会社は株主のものであり株主利益を常に最大限に上げるようにすべきであるという頭があります。ただ、その一方で、それだけでは良くない、公のためになる社会の公器でもあるべきだということも、私が会社法を勉強し始めた昭和50年代後半の時点で既に言われてはいました。

本書では、そういった議論を、後者の立場に立ちつつ、株式会社の歴史的な変遷も踏まえながら、精緻に、理論的に論じようとしていて、みっちりと書かれているだけに、読み応えもあり、参考になるものが多々ありました。

ただ、印象としては、株主利益のためだけではなく社会に役立つ存在であるべき、ということは、べき論として言えても、そこを理論的に、本質的な法規範として義務付けていくことは、なかなか難しいようには思いました。各国の実情に応じつつ、実定法の中で、社会的な存在としての株式会社を位置付けて、必要な具体的義務を課すなどしていく必要が、やはりあるように感じられました。

この問題について徹底的に考えてみたい人に向いている本ですが、私は、読んで疲れました(笑)。

 

みずほFGの主要5社、「年功序列型」を実質廃止へ…24年4月から完全移行

みずほFGの主要5社、「年功序列型」を実質廃止へ…24年4月から完全移行(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

新たな人事制度では、給与の決定要素を各人が担っている業務に応じて決まる「役割給」に一本化する。これまでは年齢などが加味された「分かりにくい制度」(みずほFGの人事担当)だった。

メンバーシップ型からジョブ型へ、完全に舵を切るということでしょうね。これも時代の流れかと感じるものがあります。

私は1983年に大学に入学し1987年に卒業しましたが、当時は正に年功序列、終身雇用全盛で、周囲の大学生は、良い成績を揃えて評価の高い会社に入ることを考えて、スキルを身につけるという発想はなかったものでした。業務で必要なことは会社に入って、会社の指示で覚えれば良いという程度でした。そういう世代は、現在、50歳代後半くらいになっていて、世の中の激変を強烈に感じていることでしょう。

私は、主流からは外れて司法試験の勉強をし、幸い、合格して、法曹の世界の片隅に身を置いて、イレギュラーな人生を送ってきましたが、当時のことを思い出しながら、こんな社会になるとは思いも寄らなかったと感慨深いです。きっと、これから30年後、40年後の社会も、今とは激変しているのでしょう。

現在利用しているキャッシュレス決済手段 2位「スマートフォン決済」、1位は?

現在利用しているキャッシュレス決済手段 2位「スマートフォン決済」、1位は? - ITmedia ビジネスオンライン

現在利用するキャッシュレス決済手段を聞いたところ、最も多かったのは「クレジットカード」(78.2%)だった。

次いで、「スマートフォン決済」(48.2%)、「カード式の電子マネー」(42.1%)と続く。年齢層が高いほど「クレジットカード」「カード式の電子マネー」の利用率が高かった。また18~29歳のキャッシュレス決済手段の非保有率は37.3%で、全体平均の13.2%を大きく上回る結果となった。

18~29歳のキャッシュレス決済手段の非保有率が全体平均を大きく上回っているのはなぜでしょうか。そういった手段に慣れていそうな世代ですが。

私の場合、頻度で言うとよく使うのはスマートフォン決済ですね。スマートフォン決済が使えるところではそれを使い、使えない場合にクレジットカードという順番です。現金は、以前と比べると実に使わなくなって、通常、持ち歩いている現金は1万円くらい(小口で使いやすい千円札ばかり)です。

スマートフォン決済でよく使うのは後払いのIDで、交通関係はSuicaがメインです。地方出張へ行くと、PayPayだけ使えるという店が結構あって、PayPayも使えるようにしています。JR系の施設内では買い物にSuicaしか使えないところもあり、SuicaPASMOを買い物に使うこともあります。

現金では、いつどこで何を使ったか、累計が把握しにくいですが、キャッシュレス決済では、そういう把握がしやすい上、記事にもあるようにポイントも貯まりますから、メリットは大きいですね。

 

 

 

 

 

「iPadはコンピュータとして設計していない」––Apple役員が語る「iPadと教育の未来」

「iPadはコンピュータとして設計していない」––Apple役員が語る「iPadと教育の未来」(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース

iPadが独自性を保てているのは、我々が“コンピュータ”としてiPadをデザインしていないからです。何かの用途に限定せず、多彩な可能性に対応し続けられるように努めています。 iPadは、あくまで“タッチファースト”な体験が中心です。Apple Pencilやキーボードを追加することもできますが、それが必須なわけではありません。結果として、何かメモを取ったり、写真やビデオを撮影したり、それを編集したり。また、映画を観る場所にもなりますし、コードを学んで、iPadで動作するアプリを作る場所にすらなります。偉大な小説を書く次世代の作家も現れるでしょう。

自分が受けてきた教育(昭和時代)を振り返ると、一方的に与えられる情報を覚え込む、上流から流れてくるものを口を開けてひたすら飲み込むような教育だったように思います。覚えるための理解は必要とされても、記憶、知識に基づいて創造、展開することは教育の中にない、そういう印象があります。

日本は物作りで経済成長を遂げた面がありますが、そういう教育は、黙々と、地道に正確に物を作っていくには良くても、先の見えない時代に、創造的に取り組んでいくにはいかにも不向きです。今の日本の窮状の背景には、教育の失敗という面もあるように思います。

そういった意味でも、日本でもiPadのようなタブレットを活用し、新たな未来を見出していけるような人材を強力に要請してほしいものです。