「iPadはコンピュータとして設計していない」––Apple役員が語る「iPadと教育の未来」

「iPadはコンピュータとして設計していない」––Apple役員が語る「iPadと教育の未来」(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース

iPadが独自性を保てているのは、我々が“コンピュータ”としてiPadをデザインしていないからです。何かの用途に限定せず、多彩な可能性に対応し続けられるように努めています。 iPadは、あくまで“タッチファースト”な体験が中心です。Apple Pencilやキーボードを追加することもできますが、それが必須なわけではありません。結果として、何かメモを取ったり、写真やビデオを撮影したり、それを編集したり。また、映画を観る場所にもなりますし、コードを学んで、iPadで動作するアプリを作る場所にすらなります。偉大な小説を書く次世代の作家も現れるでしょう。

自分が受けてきた教育(昭和時代)を振り返ると、一方的に与えられる情報を覚え込む、上流から流れてくるものを口を開けてひたすら飲み込むような教育だったように思います。覚えるための理解は必要とされても、記憶、知識に基づいて創造、展開することは教育の中にない、そういう印象があります。

日本は物作りで経済成長を遂げた面がありますが、そういう教育は、黙々と、地道に正確に物を作っていくには良くても、先の見えない時代に、創造的に取り組んでいくにはいかにも不向きです。今の日本の窮状の背景には、教育の失敗という面もあるように思います。

そういった意味でも、日本でもiPadのようなタブレットを活用し、新たな未来を見出していけるような人材を強力に要請してほしいものです。