長野県の飯田方面へ日帰り出張し、帰りに、諏訪湖のほとりにある高島城趾にちょっと寄ってきました。かつては諏訪湖に面して浮城と呼ばれたそうですが、現在は諏訪湖からちょっと離れています。
昨年春に初めて行ったのですが、車で移動していたので、帰京の途中、諏訪インターで降りて再訪しました。
徳川家康の六男の松平忠輝や、吉良上野介の養子の吉良義周が流されていたことで有名ですが、平日で、小雨模様ということもあり、人影もまばらで静かな中の見学になりました。
再建された天守閣の写真を撮ったり、諏訪護国神社に参拝したりしながら散策していたところ、神社の近くに永田鉄山の像があるのに気づきました。昨年の訪問の際には気づいておらず、ちょっと驚きました。すぐにネットで調べてみると、永田鉄山は諏訪の出身でした。
戦前の陸軍で、統制派のリーダー格として軍務局長まで務め、昭和10年、軍務局長在職中に局長室で皇道派の将校に惨殺されています。翌年、226事件が起きています。像は昭和13年に建ち、戦時中の金属供出で供出された後、戦後の昭和40年に再建されています。
永田鉄山は戦前の統制派、皇道派の対立の中で早世し、生きていれば、ということが今なお語られています。きちんと永田鉄山について読んだことがなかったので、帰京して
をKindleで買って読み始めました。諏訪での幼少時の様子も描かれ、行ったばかりだったので印象深く読みつつあります。
ちょっとしたところで、歴史を学ぶ機会があるものです。