元首相でA級戦犯として処刑された広田弘毅については、これまで
を読んでことがあり、「落日燃ゆ」ではその悲劇性が強く印象づけられたのに対し、「悲劇の宰相の実像」では、無力なまま軍部の専横に追随する姿が浮き彫りにされて、私自身の広田弘毅像に定まらぬところがありました。
この度、ミネルヴァ書房から本書が出たので、そういう意識を持ちつつ、早速読んでみました。
かなり詳細に、広田の生涯を追っていて、参考になりましたが、印象的だったのは、
・広田が玄洋社のメンバーではあったものの、そこから国家主義的な影響を受けた形跡がなく、終始、英米を含むと諸外国との協調を目指していた
・対中国問題でも、諸外国との協調関係を維持した上での平和的解決を目指し、永田鉄山暗殺までは陸軍統制派とも連携関係にあった
・死刑判決の大きな原因になった南京事件への対応についても、閣議での問題化が実効性のない状況の中、陸軍に対しては速やかな対応を求め、広田なりの措置を講じていた
ということでした。
東京裁判への対応にも見られるように、広田自身、自らの運命を積極的に切り開いていくというよりは、時の流れに任せるようなところがあり、そういう東洋的な君子風のところが、例えば軍部への対応については積極性に欠けるようにも見られ、昭和天皇からは不満を持たれ、東京裁判における軍部への追随者としての責任を過大に取らされることにもつながったように思われます。
文官としては、近衛文麿は自殺、木戸幸一は自己弁護に終始し、残された広田が唯一の文官としての死刑判決を受けたという側面もあったでしょう。
落日燃ゆが描く、平和を求めながら潰えた悲劇的な人物という見方にも、一理も二理もあるような気がしてきました。
改めて、落日燃ゆや悲劇の宰相の実像を読み直してみて、私自身の広田弘毅像を再構築していきたいと考えています。