現場脇、慰霊碑ひっそり=「やすらかに」花と飲み物―殉職の警部補悼み・渋谷暴動

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星一つ 落ちて都の 寒椿(つばき)」。精米店脇に設置された慰霊碑には、新潟県警が募集した歌が刻まれた。除幕式は命日の同年11月14日に行われた。宮原さんは「今でも(設置場所は)無償のまま甘えているはず。本当に感謝している」と話す。

21歳で亡くなった警察官には、その後の長い、有意義な人生があったはずで、それを断たれた無念さや歳月の長さなど、様々なことを感じさせられます。
私が司法修習生であった昭和62年、63年当時や検事に任官した直後頃は、まだ、左翼陣営の街頭闘争の捜査を経験した検事が現役でそこここにいて、捜査が大変であったことなど体験談を、折に触れ聞いたものでした。連合赤軍事件の捜査に携わった上司に、当時の捜査について内幕話を聞いたことも思い出されます。
日本の現状で、そのような苛烈な暴力を伴う大規模闘争が起きることはありませんが、数年ではなく、十数年、数十年といった時の流れの中で、再びそういった騒然とした状況になることは十分にあり得ることです。捜査機関としても、またその他の関係者としても、過去の事件から多くを学び、それぞれの立場で、より良い方向へと生かさなければならないと思います。殉職した警察官も、きっとそれは望んでいるでしょう。ご冥福をお祈りします。