- 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 発売日: 2014/03/05
- メディア: DVD
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今は亡きポール・ニューマン主演の傑作法廷ものですが、久しく見ていなかったのを、ひょんなことから新年最初の映画として観ることになりました。最初に観たのは私が大学生の時ですが、弁護士になってから観るのは、もしかしたら初めてかもしれず、後にコメントするように、弁護士の視点からも観て興味深い点があり、改めて楽しめた感じがありました。
(以下、ネタバレ注意)
ポール・ニューマン演じるギャルビン弁護士が、医療過誤の被害者の家族(依頼者)から、示談の話を蹴って裁判に持ち込んだことを「勝手にやった」と非難されるシーンがありましたが、何の相談もなくそうしたのであれば、代理人の活動としていかながものかと感じました。そういう提案が相手からありました、という話はきちんとした上で、裁判に持ち込むメリット(より大きな賠償が得られる見込みがある)、デメリット(敗訴すれば示談で得られた金銭も得られなくなる)をきちんと説明し、納得に基づいて方針選択をすべきところでしょう(この辺の事情は日米で変わらないと思うのですが)。映画としてはこういう流れのほうがおもしろいのですが、リアリティという点では難があります。原作でどうなっていたか、ちょっと思い出せないので、今度確認してみたいと思っています。
また、シャーロット・ランプリング演じる女弁護士が、相手方弁護士(コンキャノン)のスパイになっていて、ギャルビンと情交関係を結びつつ情報をコンキャノンに流すというストーリーなのですが、これも、映画としてはおもしろいものの(原作でも確かそういう流れでした)、コンキャノンのような成功した弁護士が、十分に勝訴の見込みのある事件で、そこまで危ない橋を渡るのか、という素朴な疑問を感じました。ただ、映画の中では、ギャルビンが過去に陪審員を買収しようとした疑惑で逮捕され順風満帆の弁護士人生が暗転した、という流れにもなっているので、弁護士が勝訴のためにはそういうこともやりかねないという、少なくとも人々の認識としてそういうものが米国ではあるのかもしれません(日本で、裁判員を買収しようとする弁護士、相手方の事務所にスパイとして事務員を送り込む弁護士、というのは考えられないでしょう)。
ギャルビンが探し当てた看護婦が、医療過誤を立証する決定的な証言をしたものの、コンキャノンの異議で証拠から排除されてしまう、という流れに映画ではなっていますが、原作では、この証拠は採用されます(原作では、それまでコンキャノン側についてしまっていた裁判官がそこでコンキャノンを見捨てるという流れになっていた記憶です)。ここは、映画のほうが最後の大逆転が劇的になっておもしろいのですが、この証拠が排除されるようでは裁判って何、茶番なの、ということになりかねず、ちょっと無理な設定という気がしました(これは前から感じていたことですが)。
この作品では、舞台となったボストンの、ちょっと暗めの、歴史を感じさせる重厚な風景が作品の深みを支えるような形になっている上、うだつの上がらない弁護士、という設定のギャルビンが、「アンビュランス・ローヤー」(映画の字幕では「三百代言」と訳されていましたが他に適切な訳がみつからなかったのでしょう、要するに救急車の後を追いかけて事件を漁っているような弁護士、ということです)として、新聞の死亡欄を読みあさったり葬儀屋とつるんで他人の葬儀に顔を出して「お力になります」などと持ちかけ怒った遺族に追い出されたり、事務員がいないのを依頼者に対して隠すため事務所のドアに事務員宛の嘘の伝言メッセージをわざと貼り付けておいてやってきた依頼者に取り繕ったり、といった、結構細かいところでリアルな作り込みがされているのも改めて印象的なものがありました。
とは言え、やはり、何と言っても、弁護士役を演じ切っているポール・ニューマンの好演が光ります。言葉の出し方や間の取り方、身振り手振りなど、弁護士の私から見ても、うーん、弁護士らしい、と思わせるものがあり、相当な役作りをやったのだろうと思わせるものがありました。この作品はアカデミー賞受賞の呼び声も高かったのが、「ガンジー」が受賞して、受賞を逸したのですが、作品にもポール・ニューマンにも、アカデミー賞を受賞するだけの素晴らしさがあったと、改めてしみじみと感じました。
新年最初に観るのにふさわしい映画であったと思います。