映画「否定と肯定」

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ナチスによるホロコースト否定論者を批判したところ、名誉毀損で提訴された研究者が、闘うことを決意し、弁護士と協力しつつ(協力の中で意見も対立しつつ)、勝利を目指す姿を描いたものです。
(以下、ネタバレ注意)
最終的に、研究者の勝訴に終わりますが、その戦い方については、私自身、弁護士でこの種の訴訟を担当することもあり、そういう立場で興味深いものがありました。原作を読まずに映画を見たので、映画を見た範囲でしか今のところわからないのですが(原作の邦訳本をKindleで買ったので追って読んでみようと考えています)、研究者(被告)側としては、

陪審員裁判を回避して裁判官のみの裁判に持ち込む(感情的な判断を避ける)
ホロコーストが行われたことを専門家の証言等により総論的に立証する(各論的な、細部の揚げ足取り的な論点にできるだけ立ち入らない)
ホロコースト否定論者(原告)側の資料(著作、日記等)を精査の上で、変遷、矛盾を突き、ホロコースト否定論が誤っていることを知った上で悪意、偏見に基づいて述べていることを立証する

という、その戦略、戦術が功を奏していたのが印象的でした(最後の「誤っていることを知った上で」という点については、判決前、最後の最後で裁判官から疑問が呈されて冷やっとさせられるのですが)。
被告本人は、自らも証言し、また、強制収容所の生き残りの人々にも証言させたいと強く望み、弁護団に容れられず、一時は険悪な状態にもなりますが、これは、上記の「各論的な、細部の揚げ足取り的な論点に立ち入らない」という観点で、弁護団の方針が正当であったということになると思います。映画では、法廷で、原告がそういう論法でホロコースト否定論を声高に主張し、マスコミがそれに乗せられかけるというシーンも描かれ、その種の論法やそれに乗せられることの危険性を垣間見せていました。
冒頭で、被告が、ホロコースト否定論とは議論しないと繰り返し述べるシーンが出てきて、そういう論者とは議論しないのが得策だと、この映画から読み取れるものとして語る向きもあるようですが、正確には、真実から遠ざかる、遠ざけようとする、各論的な、細部の揚げ足取り的な(詭弁につながる)論点に立ち入らない、そういう不毛な論争に陥らないことが大切ということだろうと、私は感じました。
終始、緊張感があり、手に汗握らせる展開で、なかなかおもしろく鑑賞できました。観るに値する作品と感じました。