「勾留請求」却下 10年で5倍に増加

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141227/k10014328271000.html

日弁連のまとめによりますと、去年1年間に検察が行った勾留請求11万件余りのうち、裁判所が認めなかったのは1790件で、平成15年の360件に比べ、およそ5倍となりました。
この10年間、勾留請求の数は減少傾向の一方で、裁判所が勾留を認めないケースは増え続けています。
この理由について日弁連では、裁判員制度の導入や国選弁護人制度の対象が拡大されたことなどをきっかけに、裁判所が容疑者の身柄を拘束する必要性についてより慎重に考えるようになったと分析しています。

従来の刑事実務では、捜査段階においては、捜査の必要性の高さ(捜査機関側が考える、ということですが)と身柄の必要性が密接に関係していて、裁判所も、身柄の必要性をそれ自体として考える、というよりも、捜査の必要性が高ければ高いほど(と言っても捜査のことは裁判所にはわかりませんから捜査機関の言い分を鵜呑みにして判断することになります)、勾留は認められやすい傾向があったと思います。がっちり身柄にして徹底的に取り調べる、ということが暗黙の前提になっていました。
また、これが公判段階になると、今度は、裁判所自身が、身柄をしっかりとと握っておくことによって裁判所の主導権を発揮し、被告人や弁護人に好き勝手なことを言わせず「有罪」へ向かって(裁判所自体がほとんどの事件は有罪だという前提の下で動いていることもあって)ばく進する、という運営がされてきたと言えるでしょう。日本の「人質司法」というものはそういうものでした。
それが、最近は、徐々に、捜査の必要性、公判運営の必要性、といったことと、身柄の必要性が切り離して考えられるようになってきたことで、上記のような傾向になってきているのではないかと思います。ただ、従来の考え方を維持している裁判官もまだまだ多く、この傾向がどこまで進むのか、どこかで揺り戻してくるかは、予断を許さないものがあるように、私には思えます。