大学競争、早慶戦は慶応の圧勝 なぜ、早稲田は苦境に? 大学ジャーナリスト・石渡嶺司

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戦後から1980年代にかけて地方の高校生から早稲田大の人気は高いものがありました。
『早稲田と慶応』(橘木俊詔講談社現代新書)には、「『野人の早稲田マン』になるために、地方から上京して早稲田に入学するのは自然な夢だったのである。(中略)慶応を目指す学生もいたが、どちらかと言えば慶応はシティ・ボーイが希望するとのイメージがあり、地方ボーイは早稲田に憧れた」とあります。早稲田への憧れもあり、当時は早稲田大の方が慶応大よりも偏差値は上でした。

私は、早稲田大学法学部出身ですが(昭和58年入学、昭和62年卒業)、在学中から、大学に依存して何かを得る、という発想は極めて希薄で、地の底のような位置から何とか身を起こすべく独力で頑張る、という意識が強かったですね。いまだに友達もなく独立独歩という感じでやっていますが、そういう粘り強く頑張れる自分が形成されたのは、早稲田大学に身を置いたからこそであると、振り返って感じますし、随分と鍛えられた気がしています。
良い環境で、楽しく豊かな大学生活を送るに越したことはありませんが、環境は良くなくても、優秀な人々が集まる場に身を置きつつ、頑張れる自分を形成することは可能で、そういう環境であるからこそ、鍛えられるもの、得られるものもあると思います。早稲田大学は、集まり散じて人は変われど、希望の光を仰ぎつつ、頑張れる、国家、社会に貢献できる人材を輩出できる場であると思いますし、これからもそういう存在であってほしいものです。