靖国参拝 中国が強い不満

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131018/k10015387911000.html

北京の日本大使館によりますと、これに対して木寺大使は「閣僚の私人としての行動は日本政府として見解を述べる事柄ではない」と説明しました。
そのうえで、「わが国は戦後60年余り、平和国家としての歩みを堅持し、平和的手段によって世界の平和と安定に貢献している。個別の問題が両国関係の全体に影響を及ぼさないよう、双方が戦略的互恵関係にのっとるべきだ」という考えを伝えたということです。

私は、歴史や戦史関係の本を読むことが割りと多いほうで、また、広島出身で、既に亡くなった肉親に被爆者もいて、それだけに、戦陣に散り戦火に倒れた人々に対する鎮魂の思いは深く、靖国神社について、中国、韓国などが声高に主張していることも、荒唐無稽とまでは言いませんが、大きな誤解に基づいていると考えています。
しかし、こういった、多くの日本人が共有する思いを超えて、これが大きな政治問題になっているのも事実です。昭和天皇も、戦後、靖国神社参拝を継続されていましたが、A級戦犯合祀を機に参拝を取りやめられ、後に、側近の日記から、参拝中止がA級戦犯合祀を原因とするものであったがことが明らかになりました。昭和天皇の、A級戦犯で刑死した人々に対する鎮魂のお気持ちが、戦後、一貫してあったことは間違いないと思いますが、優れた政治感覚をお持ちの方でしたから、政治問題として、御自身の参拝継続がどのような印象を与えるかを慎重に考慮されての参拝中止だったのでしょう。
木寺大使が中国に伝えたように、我が国は、戦後、一貫して、平和主義の下、国民が努力して今日の繁栄を築き上げてきました。しかし、靖国問題が先鋭な政治問題と化して、日本の政治家が靖国神社参拝等を行えば行うほど、日本の右傾化、平和への挑戦、といった捉えられ方をされることは、実に不幸なことと言うしかありません。最近、来日した米国の国務長官らが、敢えて千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ赴いたのも、この問題に対する米国政府の懸念や日本政府への自制を求める意思を間接的に表そうとしたものと見るべきだと思います。米国に言われたから従うべき、というわけではありませんが、日本にとって重要な同盟関係にある大国であり、謙虚に耳を傾けるべき点には傾けるべきです。
「政治とは妥協の産物である」と言われますが、靖国問題については、諸外国との関係悪化を避けることができる、謙抑的、自制的な政府の行動が、当面、必要ではないかと私は思います。一時的に、妥協的な行動を取りつつも、戦没者に対する慰霊の真心は堅持し、徐々に理解を深める努力を継続しつつ、靖国問題を、先鋭的な政治問題から離脱させ、かつて昭和天皇がされていたように、今上天皇が静かに参拝できるような、そういう環境を作ることを、私は現政権や与党に強く求めたいと考えています。日本のため、日本国民のために尊い生命を犠牲にした人々は、日本国の国益のための、一時的な自制、謙抑的な行動を、おそらく理解してくれることでしょう。