昭和天皇実録:靖国神社不参拝の経緯…「富田メモ」を追認

http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20140909k0000m040143000c.html

メモの中身には触れていないが、その存在と内容を報じた日本経済新聞の報道があったことをあえて記述した上、メモを出典として明示していることなどから実質的にメモの中身を追認したと受け止められる。

この報道は、2006年7月20日付同紙朝刊が「富田長官が残したメモから、昭和天皇A級戦犯を合祀した靖国神社に強い不快感を示し、『だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ』と長官に語っていたことが判明」と報じたもの。実際、天皇は1978年のA級戦犯合祀以降は参拝をしていない。
新聞報道を記載したことに対して、同庁は実録の説明の中で「社会的な反響、影響が大きかったことから報道があったという事実を掲載した」と述べ、「メモの解釈はさまざまで、A級戦犯合祀と昭和天皇靖国神社不参拝をとらえた富田メモや報道内容を是認したわけではない」としている。

富田メモでは、日々のとりとめもない本人の見聞も含め、実に細かくメモされていたと言われていて、そういうメモの中で、宮内庁長官という立場にある人物が、嘘やいい加減なことを、それも昭和天皇の言動について記載するということは、およそ考えられないでしょう。解釈、解釈と言いますが、書いてあることは他に解釈しようがない、正に、A級戦犯合祀が靖国参拝中止の原因であったということに他なりません。

卜部日記・富田メモで読む 人間・昭和天皇
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20140104#1388822747

そういった点を含め、昭和天皇実録の内容は実に興味深いもので、私は、今日の朝刊(購読している朝日、読売)の特集記事を読みふけってしまいました。今後、全文まで読むのはさすがに無理だと思いますが、取り上げている記事や本をできるだけ読んで、激動の昭和についてさらに学びたいと考えています。
昭和天皇は、立憲君主制の下での理想の君主であろうとし、国際協調、平和を目指しつつも、昭和20年までの日本は、戦争に次ぐ戦争で、国土は焦土と化し多数の国民が死亡し戦災に苦しむという悲惨な結果になりました。そして日本は、焦土の中から立ち上がって今日の平和と繁栄を築いたわけですが、生前の昭和天皇が、顧みて、「国民と同様に喜びと悲しみの幾歳月であった」と振り返られた、その御生涯が、こうして実録という形で読めるようになったことに、大きな意義を感じますし、長期間にわたり膨大な作業にあたった関係者の労苦に感謝したいと思います。