四〇〇万企業が哭いている ドキュメント検察が会社を踏み潰した日

四〇〇万企業が哭いている ドキュメント検察が会社を踏み潰した日

四〇〇万企業が哭いている ドキュメント検察が会社を踏み潰した日

決算を粉飾し融資を受けたことを詐欺罪に問われ、東京地検特捜部の捜査対象になり逮捕、起訴されて有罪(実刑)になった会社経営者とコンサルタント(うち現時点で経営者は実刑確定、コンサルタントは上告中)のドキュメントで、昨日から読み始めたのですが、キンドル版があって読みやすかったこともあり、2日で読み切りました。
刑事事件として立件される、通常の詐欺は、支払(返済)の意思、能力がないのにあると偽り騙し取るというものですが(実質詐欺、という言い方はあまりしませんが後者の形式詐欺に対すれば実質詐欺ということになります)、そういった意思、能力の偽り以外で、相手の意思に大きく影響を及ぼすような点で嘘をつく詐欺、というものもあって(形式詐欺)、これで立件されるケースもあります。ただ、捜査実務では、そういった形式詐欺は世の中にありふれていますから、敢えて立件するのは、実害(被害者に実際の損害、少なくともその現実的な危険性が生じていること)や被害者側の処罰感情の強さ、騙した側の悪質性、といったことが考慮され、「起訴価値」がある場合に限られる、というのが、捜査経験のある人の見方として一致するところでしょう。特に、実際に動いている会社、組織を捜査対象にする場合には、そうすることにより破たんに追い込んだり関係者が路頭に迷う、といった可能性も含めて、立件の可否、立件する価値、意味といったことを十分考えておく必要もあります。
本書を読む限り、問題となった事件は、そういった意味での立件の意味、起訴価値にかなり疑問があったのではないかという印象を与えるものがあり、事件選択の基準や公平性(その裏を返せば恣意性)といったことに、かなり首をかしげざるを得ないものを読んでいて感じました。
そういった立件の上での選択を誤ると、こうした形式詐欺は、形式面では詐欺の成立要件を満たしてしまうものであるため(それと実際の起訴価値、処罰価値にかい離があることが多い)、起訴されると有罪になり、本件のような、億単位の融資を引き出したようなケースでは、立件により返済が不能になって焦げ付いてしまいそれが(立件により)「実害」として残ってしまって、執行猶予のつかない実刑、ということになってしまいかねないことになります。事実、本件でもそのような展開をたどっています(弁護した大物?ヤメ検への批判も出てきているようですが、そもそもこの被害額で執行猶予、ということにかなり無理があるという発想をまず持つべきだったと言えるでしょう)。だからこそ、捜査において、適切な選択を行い公平を期することが重要になってくるわけです。この種の事件をいちいち立件し始めたら、日本全国、詐欺事件だらけになって、中小企業経営者やそれに関わる税理士、コンサルタント等の専用拘置所、刑務所でも作らなければならなくなるほどでしょう。
粉飾や嘘は肯定できないものですが、社会というのは建前だけでは動かないもので、そういう実態に対して、建前だけで臨み、それも、刑事事件として氷山の一角だけを切り取って残りの大部分は不問に付すようなことをすれば、切り取られた部分と残りの大部分との間の落差はあまりにも大きく、切り取られた側は強烈な不公平感を感じ、残りの大部分も、いつ切り取られるかわからない恐怖を感じるでしょう。そういうことをやって、では何かが変わるか、ということになっても、何も変わらず、むしろ、切り取ったことや切り取り方への不信感、恨みつらみが残るだけで、「一罰百戒」にすらなりません。本書で取り上げられている事件の捜査について、様々に巻き起こっているネガティブな反応は、結局、そういうことではないか、ということを読んでみて感じました。
本書では、部分的に可視化された取調べが、取調官側の都合の良い場面だけをつまみ食いする、取調べを正当化するための姑息な手段でしかないことがリアルに紹介されていて、その点でも注目すべきと感じました。
コンサルタント本人による

粉飾 特捜に狙われた元銀行員の告白

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も注文していたものが届いたので、そちらも読んでみようと思います。