『警官暴行』男性無罪 千葉地裁支部 判決警官証言、信用できず

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007091102047997.html

公判では、検察側証人として千葉県警館山署の巡査部長が「手のひらを突き出すように殴られた」、現場にいたもう一人の巡査が「こぶしを振り回すように殴っていた」とそれぞれ述べた。田中邦治裁判官は二人の証言の食い違いなどから信用性は低いと判断、判決理由で「男性の暴行には合理的な疑いが残る」と指摘した。

公安事件の場合、公務執行妨害罪で立件されるものも少なくありませんが、「被害者」である警察が、加害者を捕まえてしまっているわけですから、そこに恣意的なものが含まれていたり、虚偽が含まれている可能性もあって(「転び公妨」など)、公安検察のスタンスとしては、かなり慎重に事実関係を吟味し、安易な起訴はしない、という伝統が、「かつては」ありました。私が検事に任官した頃は、そういった公安検察のスタンスが一般刑事事件の公妨にも、良い意味でフィードバックされていて、かなり慎重に見る傾向がありましたが、上記のような食い違った証言が出て無罪になってしまっているようでは、既にそういった良い傾向は忘れ去られているのかもしれません。
この種の事件に限らず、警察捜査には、適正に行われているものもある一方で(そのほうが多いのですが)、問題があるものも決して少なくなく、そういった問題事件に対し弁護士ができることにも限界があるのが実状です。現在の日本の刑事裁判では、問題のあるケースで丁寧に審理を行い(おそらく上記の館山支部の事件では裁判所にそのような姿勢があったのでしょう)、罰すべきではないものを罰しない、という姿勢は残念ながら希薄で、すべては官僚的に、検察ペースで進み、形式的に証拠がそろっていればベルトコンベアの上を流れるように有罪、という傾向が顕著です。だからこそ、検察庁が果たすべき役割は重要であり、警察捜査に鋭くメスを入れ(いたずらに敵視すべきではありませんが)、警察が収集した証拠を、必要に応じて批判的に、疑問を持ちつつ吟味する、起訴すべきではないものは起訴せず、有罪になってはいけない事件を上記のように危険な裁判所の手に委ねない、という姿勢が不可欠ではないかと思います。
あくまで私の印象でしかありませんが、そういった望ましい検察庁の姿勢は、私が検事に任官した頃は、検察庁全体で、まだその名残はあったように思いますが、警察の力がますます増大し、検察庁の組織としての力が次第に低下し、事件数が増加して検察庁の繁忙度が上がる中で、次第に希薄になり、そういった現状が、近時、問題になっている「起訴してはいけない事件」での起訴になって現れているのではないか、と感じています。もちろん、検察庁だけが問題ではありませんが、組織としての在り方については、私のような、途中でドロップアウトしたしがない弁護士などに言われるまでもなく、今後とも見直しが必要でしょう。
館山支部の田中裁判官は、先日、私が担当したある刑事事件で、実刑か執行猶予か微妙なところ(普通なら実刑)、こちらの丹念な情状立証をよく見てくれて、執行猶予付きの判決にしてくれました。だから、というわけでもありませんが、事実を丁寧に見て、バランス良く判断する、なかなか優秀な裁判官ではないか、と思います。