【大阪地検特捜部は再生できるか】(4)肥大化したおごり…真相に迫る「魂」喪失

http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121025/waf12102513430027-n1.htm

かつて「特捜の鬼」と呼ばれた検事がいた。主に大阪地検を中心とする「関西検察」で過ごし、大阪高検検事長を最後に退官した故別所汪太郎(おうたろう)(平成10年没)である。

別所はおごりとも無縁だった。妥協を許さず、無駄と思えるほど証拠を集め、捜査を尽くす泥臭い姿勢で知られた。捜査でつかんだ真相に照らし、容疑者を不起訴とする場合でも「捜査は成功」と評価するバランス感覚があった。
その「魂」は、大阪特捜で脈々と受け継がれてきたはずだった。

多くの検察OBは昭和60年代から平成初期にかけての一時期、捜査や起訴が適正か否かを判断する上司の決裁が甘くなった影響を指摘する。
法務検察は当時、検事の任官志望者の減少と退官者の増加という深刻な人材難に直面し、上命下服の厳しい管理が原因とみて決裁を緩和した。若手を育成する機会である決裁が機能しなかった一時期を経て伝統が断絶し、時代の変遷とともに「魂」も失われた−というのだ。

別所氏の回想は

で読むことができます。私も、今ではしがない弁護士になってしまいましたが、かつては、この本を何度か読みなおして、検事としての姿勢や捜査、公判へ臨む姿勢について、自問自答を繰り返しながら検察庁で働いていたものでした。
かつて、神戸地検検事正であった別所氏の下で仕事をしていたことがある検事に聞いた話では、別所検事正は、未済事件について、まったく意に介しておらず(時効成立は論外であったはずですが)、捜査に時間がかかるのは当然である、という考え方に立っていた、とのことで、考え方のスケールは幅が違うものだと強く感じたことが、今でも思い出されます。
私が平成元年に任官して数年間、上記のような、決裁の在り方について、改善の議論が展開されていましたが、私は、それがその後の捜査、公判の劣化に影響したとは考えていません。検察官は、1人1人が独任制の官庁で、法律家として自らの権限と責任において捜査、公判に取り組み、決裁は上からの押し付けではなく、ソフトな、助言と承認のシステムであるべきもの、という考え方は、今でも尊重されるべきでしょう。決裁の緩和、といった美辞麗句の影で、実際は、昔ながらの押し付けや、パワハラまがいの決裁が根絶できず、しかも、決裁官自体の能力が次第に低下して、見るべきところを見ることすらできなくなった、というのが、現在に至るまでの流れだろうと思います。警察にはできないこと、見抜けないことができるからこそ検察庁の存在意義、価値があるはずなのに(そうでなければ、警察が起訴や不起訴を決定すれば済みわざわざ多額の国費をかけて検察庁を設置しておく意味はありません)、現在、問題になっている遠隔操作事件でも、検察庁がそうした有用性、存在価値を発揮した形跡はなく、大阪では誤起訴までやってしあうなど、単に警察と同じ踊りを踊っているだけ、というところにも、検察庁の劣化が現れていると思います。
こうした、劣化した現状を挽回することは至難の業であり、前途は多難でしょう。私は、しがない弁護士として、草葉の陰からじっと見守って行きます。