元枚方市長名誉毀損訴訟 本社の考え方 「取材源秘匿」は一貫

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1802C_Y2A910C1SHB000/

先日、

提出メモに検察幹部の実名 訴訟で揺らいだ日経「取材源の秘匿」
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20120825#1345903764

でコメントした問題についての、日経の見解ですね。到底是認できない、というのが私の見方です。識者コメントも、取材する側の都合に偏していると思います。
この問題については、取材源秘匿という倫理面の実質は何か、ということと、取材源の法的利益の保護、という観点が不可欠でしょう。
日経の見解では、口先(筆先?)では、取材源秘匿は重要、と言いつつも、

名誉毀損訴訟などで記事の内容に疑問が投げかけられた際、記事を掲載するに当たりどのような取材をし、記事にできると確信するに至ったのか、その過程を明らかにすることは報道機関の果たすべき役割だと考えています。

本社は取材源の秘匿の原則を堅持しながらも、その範囲については個別に判断すべきだと考えます。

などとうそぶいています。
しかし、事が微妙であればあるほど、語る者の置かれた状況や立場が微妙であればあるほど、取材源としては、取材源として秘匿、保護されることを強く希望するもので、そういう取材を受ける際に、取材する側が、「名誉毀損訴訟などで記事の内容に疑問が投げかけられた際、記事を掲載するに当たりどのような取材をし、記事にできると確信するに至ったのか、その過程を明らかにすることは報道機関の果たすべき役割だと考えています。」「取材源の秘匿の原則を堅持しながらも、その範囲については個別に判断すべきだと考えます。」などと言えば、それならとても話せないよ、ということに、かなり多くの場合、なるはずです。そういう、微妙な取材というものは、何があっても取材源としては秘匿する、保護するという前提で(いちいち口に出さなくても相互の暗黙の了解のもとに)行われているもので、そうではない、というのであれば、今後、日経は、取材対象者に対し、上記のような方針を、必ず明示した上で取材活動を行うべきでしょう。少なくとも、今回、問題となった取材源に対しては、そういった「仁義」は切っていないはずで、既に、そこにおいて重大な倫理違反(裏切り、背信行為)があると言えます。取材源として秘匿される、保護されるという前提で取材が行われながら、その後、一種のだまし討ちで秘匿されなくなる、保護されなくなる、ということになれば、取材する側の都合がどうあれ、倫理違反ではない、と正当化するのは困難です。
また、法的利益の保護、という点でも、そういった信頼、期待(取材源として秘匿、保護される)が、予想に反して裏切られた、という場合は、取材源側の法的利益(例えば「期待権」という構成も可能でしょう、法的利益として保護される場合もあることが是認されています)が侵害された、違法行為と評価すべき場合も出てくると考えられます。取材源を明らかにすることで表現行為の違法性がなかったことを立証するという正当な目的があっても、そもそも、取材源として秘匿、保護するという前提の下で取材しているという事情がある以上、期待を裏切ったことが適法とされる余地は、相当狭くなる、と私は考えます。
日経の見解は、取材する側の都合だけでこのような重大な物事を処理しよう、自分たちの都合により取材源は切り捨てても切り捨て放題、という、安易、安直なもので、このようなことをうそぶいているようでは、取材源としては到底取材には応じ難い、という人が多いと思います。
今後は、特に微妙な取材の際には、「「名誉毀損訴訟などで記事の内容に疑問が投げかけられた際、記事を掲載するに当たりどのような取材をし、記事にできると確信するに至ったのか、その過程を明らかにすることは報道機関の果たすべき役割だと考えています。」「取材源の秘匿の原則を堅持しながらも、その範囲については個別に判断すべきだと考えます。」と告げた上で、取材を行うよう、日経は記者に徹底すべきでしょう。識者コメントが、取材する側の都合に偏し取材源秘匿が取材側の都合で容易に変容し得るものであるかのような内容になっているのも残念なことです。