- 作者: 西田典之
- 出版社/メーカー: 成文堂
- 発売日: 2011/01/01
- メディア: 単行本
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先日、日本刑法学会に参加し、その際に、共謀共同正犯に関する研究報告も聞いて、
日本刑法学会第90回大会(1日目)
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20120519#p2
その後、研究室にあった上記の本の、共謀共同正犯に関する部分を読んでみました。
西田先生は、共謀共同正犯について、実質的実行共同正犯論(準実行共同正犯論)に立ち、
共犯処罰の具体的妥当性という見地から、共謀者(非実行者)と実行分担者の間の支配関係、役割分担関係から判断し、犯罪実現に対する事実的寄与において実行に準ずる重要な役割を果たした共謀者にまで共同正犯の範囲を拡張しようとするもの
とされています(51ページ)。また、「共謀への関与のほかに共謀者が実行に準ずるような重要な役割を果たしたか否かの十分な吟味」の必要を指摘しつつ、
共謀共同正犯を基礎づける要件としての実行に準じる重要な役割を果たした事実は、起訴状および判決書において明示され認定されることが必要だというべきであろう。
とも指摘されています(52ページ)。
私自身も、こういった考え方に親近性は感じるのですが、ただ、実際の共犯事件における共謀形成過程というのは多種多様で、十分可罰的な「黙示の共謀」というものも確実に存在はしますから、成立要件として客観的なもの、事実的寄与とか重要な役割、といったことを要求するのは(証拠による立証には厳格さを求める必要がありますが)無理があると感じざるを得ません。そもそも、共同正犯の成立要件が共同実行の事実及び意思であるところ、共謀共同正犯は共同実行の意思を持ちつつ他者の共同実行事実を通じて犯罪を実現するという本質を持つものですから、共同実行事実の点を広げそれへの関わりを求める方法論には、無制約、無限定な共謀共同正犯の成立を防止しようとする点では傾聴に値するものがあるものの、本質に照らし無理があるのではないか、という印象を持ちます。基本的には主観的謀議説(共謀を「犯罪の共同遂行の合意」と捉える)に立って考えて行かざるを得ないだろう、ということを、改めて思いました。
本書では、実務上、共謀共同正犯が肯定されるにあたり「自己の犯罪を行う意思があるか」が問題とされることが多いことが、主観的正犯論と批判されていますが、元々、主観的謀議説に立っているのが実務(おそらく)なので、犯罪の共同遂行の合意があるかどうか、ということを証拠上見るにあたって、自己の犯罪を行う意思があるかどうかという観点で吟味する傾向があるのではないかと、自分自身の捜査、公判経験に照らして感じます。実行行為を一部分担しながら、自己の犯罪を行う意思まではなかったとして、共謀共同正犯ではなく幇助犯が認定された裁判例が、本書では批判されつつ検討されていますが、実際、事件を見ていると、実行行為に一部関与しつつも「犯罪の共同遂行の合意」「自己の犯罪を行う意思」まではないのではないか、というケースも、多くはありませんが見受けられる場合があり(他の首謀者等に比べ、力関係であまりにも劣っていて嫌々関与しているようなケースが多いでしょう)、確かに、実行行為に関与しながら幇助、と安易に流れるのは問題があるものの、主観的謀議説に立つ以上、そういう結論になる場合もあるだろう、というのが実務家としての私の感覚ですね。
共同意思主体説が、よく批判されますが、実務における共謀認定は、共犯者間で共同意思主体が形成されたかどうかということを、証拠により認定しているような面はあって、共同意思主体説は、共犯というものの実態、本質を鋭く捉えた考え方と言えるのではないか、ということも改めて感じました。
共犯に関するいろいろな問題が鋭く分析、検討されているので、引き続き読み進めたいと考えています。