暴走する(?)「共謀」概念(続)

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060429#p1

で述べたことの続きですが、奥村弁護士のブログで紹介されている東京地裁の判決文を見ると、共謀概念もここまで希薄されたのかと、背筋に冷たいものを感じます。

http://d.hatena.ne.jp/okumuraosaka/20060528/1148777822

本件「違法画像」を投稿した者において,本件掲示板を開設・管理する者が「違法画像」の投稿を呼びかけていることを認識しつつ,これに呼応して本件各犯行を敢行したものであったことからすると,そこに共同正犯成立の前提となる意思の連絡ないし相互利用補充関係を肯定することも可能である。したがって,披告人は,本件「違法画像」を投稿した者とともに,共同正犯の責任を負うものといわなければならない.

この程度の希薄な「意思の連絡」(呼びかけている者も、それに「呼応」したとされる者も、相互に何の面識もないはずです)で、「相互利用補充関係」が認定されるのであれば、例えば、メンバーの会費負担により運営されているNPO等の団体で、何らかの違法行為の呼びかけが、機関誌、電子メール等で行われて、それに対し、呼びかけられた側の何らかの「呼応する行為」といったものが認定されれば、共謀成立が認定され、そこに、話題の「共謀罪」があれば、構成員が一網打尽に検挙される、といったことが、単なる杞憂ではなく、本当に起きる可能性が高いでしょう。
法務省は、サイトで、

そもそも「共謀」とは,特定の犯罪を実行しようという具体的・現実的な合意をすることをいい,犯罪を実行することについて漠然と相談したとしても,法案の共謀罪は成立しません。

と、いかにも共謀というものが非常に厳格に解されているかのように解説していますが、現実の刑事裁判実務では、上記の程度の希薄な、漠然とした意思連絡(と言ってよいかどうかすら疑問ですが)で、「特定の犯罪を実行しようという具体的・現実的な合意」が認定されているのが実態です。捜査機関や裁判所が、「共謀」で引っかけて持って行こうとすれば、かなり容易に持って行ける、特定の人や組織を葬り去ることができる、と言っても過言ではないでしょう。恐ろしい世の中になってきたものです。
共謀概念が暴走した先にあるものは、組織的に動いたことが(人間はどうしても一人だけでは動けず組織で動くことが多いものです)、容易に組織犯罪視、共謀視され、暗くて人の自由が制限され、国民が息を潜めて暮らす、超監視社会かもしれません。

横浜事件 再審を見守る元婚約者 獄死で知った彼の愛」
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050731#1122783863