http://www.asahi.com/national/update/1023/OSK200910230142.html
運営法人「関西文理学園」によると、同予備校は1951年に開校。学んだ生徒は10万人を超える。ピーク時の67年に4480人いた生徒は、少子化の影響で95年に2千人を割った。さらに大学数が増加したため、予備校需要が減少。04年以降は生徒数が千人を下回り、今年度は約400人にまで落ち込んだ。
私は、昭和57年度に、駿台予備学校京都校に、寮生活を送りながら通ったのですが、当時、「かんぶり」と呼ばれていた関西文理学院の名前はとどろいていて、それに対し駿台は「新参者」というイメージで語られていたことが思い出されます。
それで思い出したのが、駿台京都校に入った時、校長か誰かの挨拶文がロビーに張り出してあって、入校した我々に対し、京都へ来たことにつき「上洛」という言葉が使われていて、木曾義仲とか織田信長みたいだな、今でも上洛という言葉が使われているんだな、と新鮮な驚きを感じた記憶があります。
少子化の流れの中で、関西文理学院も1つの役割、使命を終えたということになると思いますが、かつてを知る者としては一抹の寂しさを感じざるを得ません。