原爆:慰霊碑にない女子生徒、君の名は…情報提供を

http://mainichi.jp/select/wadai/heiwa/news/20090725k0000e040066000c.html

山岡さんについても「一家全滅し、学校に届け出る人がいなかったのでは」と推測する。
また、同じ司令部に動員された別の同級生(78)は被爆後、広島市内の二葉山にあったバラックの中で山岡さんを見た。遺体や重傷者が山積みされた一番下におり、上半身はあおむけだった。特徴のある大きな目を見開いていたので分かった。呼びかけたが、反応はなかったという。しかし、この女性も山岡さんの名前を覚えていない。

広島女学院は、広島にあるミッション系の女子校で、戦前に広島女学院へ子供を進学させるような家庭は、裕福で幸福な家庭であったのではないかと推測されますが、上記のような記事を読むと、気の毒で言葉もないですね。
原爆による大きな被害の中、一家全滅といった悲劇は多く、そういった悲劇は原爆によるものだけでなく、東京大空襲など様々な場で起きていて、無念の思いの中、人知れず亡くなった人が無数にいることを、我々は忘れるべきではないでしょう。
戦争責任というと、東京裁判の是非、ということに結びつけられやすい面がありますが、当時の日本政府上層部によるる戦争指導の失敗、誤りということについて、もっと厳しい検証が行われても良いのではないかと私は考えています。