「裁判員制度の下における控訴審の在り方について」(判例タイムズ1288号5ページ以下)

裁判員制度が導入された後に、刑事訴訟法等の改正がなかった控訴審の在り方によっては、裁判員を交えた1審の判断が次々と覆され、裁判員制度自体の否定にすらつながりかねないのではないか、ということは、以前から指摘されていて、私自身も、本ブログで、「裁判員制度・国民のおもちゃ論」などとコメントしたことがあります。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060824#1156426020
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20070513#1179029267

上記の論文は、東京高裁刑事部の陪席裁判官による研究会(「つばさ会」と言うそうですが、「つばさ」というのが何やら意味深です)によるもので、表題のにあるような問題点について、現在までの検討状況を取りまとめたもので、私も興味を持って読んでみました。
裁判員制度の下で、控訴審が「事後審査審」に徹するためにはどうあるべきか、という観点でいろいろと検討が加えられていて、高裁裁判官がどういった問題意識を持っているかがわかり、参考になりましたが、最後のほうで、

特に、1審の審理・判断を尊重するという基本的スタンスは、1審が公判前整理手続において適切に争点と証拠を整理し、これに基づき審理・判断が行われることを前提にするものであり、この点の運用が適切になされない場合には、当然のことながら、控訴審が介入せざるを得ない事件が増えることにならざるを得ない。
(18ページ)

と、思い切り釘を刺した上で、1審の審理、判決にあれこれ注文をつけていて、うがった見方かもしれませんが、「運用が適切になされ」ているかどうかは高裁が監視、判断し、なされていないという判断は専ら高裁が行って(正にそういった構造こそが問題、という見方も十分成り立ち得るでしょう)、なされていなければ、「当然のことながら」(ここにも、俺様が偉いんだもんね、という不遜さが感じられます)介入する(せざるを得ない、という表現になっていますが、思い切り介入しそうです)ということを宣言していて、今後、高裁が、「魔王」のように、裁判員が加わった判断に容喙し、その判断を次々と覆して行く可能性というものは、やはり、かなりの程度存在しそうである、という印象を持ちました。
一生懸命やっても、高裁で、「お前らのやっていることは不適切なんだよ。ばーか。」という感じで次々と判決が破棄されてしまうようであれば、裁判員も、それでなくても削がれてしまっているやる気が、ますます削がれてしまう可能性が高く、かなり早期に制度が崩壊、自壊するということにもつながりそうな予感がします。