http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081027-00000201-jij-spo
ルーツ氏は米大リーグ、インディアンスのコーチ時代、米アリゾナ州でキャンプを行った広島を指導したことが縁で、1974年にコーチとして来日。翌年、日本プロ野球初の米大リーグ出身監督となった。
審判への抗議がきっかけで公式戦わずか15試合で退団したが、前年まで3年連続最下位の球団に闘争心と使命感を注入。広島が同年、後を継いだ古葉竹識監督の下で悲願の初優勝を遂げたのは、「ルーツの遺産」といわれた。ヘルメットなどの色を紺から赤に変え、「赤ヘル」生みの親とも呼ばれる。
私の頭の中では、今でも、ルーツ監督の姿が鮮明に蘇ってきますね。田舎の弱小球団、セリーグのお荷物球団であった広島カープが、意識を大きく変革し、勝利に対する執念を持って、初優勝へ至ることができたのは、ルーツ監督の薫陶によるところが非常に大きく、これは、当時の広島カープを知る人であれば、おそらく異論はないでしょう。
あのガッツあふれる姿をもう一度見てみたかった、と思い、寂しい気持ちです。ご冥福をお祈りします。
追記:
ルーツ監督がシーズン半ばで退任した際、残した言葉を読んだことがありましたが、その末尾に、「勝利がすべてではない。しかし勝たねばならない。」という言葉があったことを思い出しました。ルーツ監督らしい言葉であったと、しみじみと当時のことを思いました。