「ずっと待っていた」=喜びに沸く広島市民―プロ野球・広島優勝

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広島東洋カープの地元、広島市中区の「広島1923ハイボールバー」では、赤いユニホームを身に着けた多くのファンが、東京ドームで行われた巨人戦のテレビ中継を見守り、四半世紀ぶりのリーグ優勝が決まった瞬間、店内は歓喜の渦に包まれた。

私は広島出身で、幼い頃からずっと広島カープのファンなので、今回の優勝は、久しぶりでもあり喜んでいます。東京ドームでの胴上げシーンは、これが現実なのか、夢かもと思うほどで、感激しました。
広島カープが初優勝したのは昭和50年で、私は小学校6年生でした。薄暗くなってきた小学校の校庭にいたら、先生か他の児童かが、カープが優勝したと言っていて、見上げた校舎の中にある教室のテレビで、カープ戦が放映されていたのを、子供心に感激しながら見上げていた、その場面が不思議と脳裏に浮かんできます。自分にとってとても印象的なことだったのでしょう。その後、広島カープは何度も優勝しているのですが、思い浮かぶのは必ずそこです。
初優勝の年に、当初監督だったのはジョー・ルーツ氏でした。闘志を持って野球に臨み、機動力を生かして勝利に徹底的にこだわる、今の広島カープのスタイルにつながるものを形作る素地を作ったのはルーツ監督であったと思います。赤ヘルを採用したのもルーツ監督でした。
その年の開幕直前に広島市内で行われた、カープ激励の夕べというイベントに親に連れて行ってもらった際に、記憶の中では何となく薄暗い会場正面のステージの上で、引っ込み思案のようでもじもじとしている選手たちを尻目に、巨漢のルーツ監督が、にこにこしながら前に前に積極的に出てくる感じでとても目立っていた、そのシーンも脳裏に蘇ってきます。ルーツ氏も既に亡く、広島の躍進を支えてきた関係者の多くも物故しましたが、この優勝を、遥か天空の上で、皆で手を取り合って喜んでくれているだろうなと、しみじみ感じるものがありました。