三村敏之さん死去:赤ヘル黄金時代築く…監督でも若手育成

http://mainichi.jp/enta/sports/news/20091104k0000m050080000c.html

67年に入団した広島では堅守巧打の遊撃手として活躍。古葉竹識監督(当時)や山本浩二衣笠祥雄とともに「赤ヘル」旋風を巻き起こし、75年に初のリーグ優勝、79、80年には日本シリーズ連覇を果たした。
72、75、76年度に遊撃手でベストナイン3度、79年にカムバック賞を受賞した。83年限りで引退するまで17年間、広島一筋で1567試合に出場。通算1245安打、149本塁打、490打点、打率2割5分5厘。
広島の2軍監督などを経て94〜98年の5年間は監督を務め、98年以外はAクラス入りした。リーグ優勝は果たせなかったが、江藤智前田智徳野村謙二郎金本知憲らを育てた。

こうして見ると確固たる実績という印象を強く受けますね。三村氏は、広島における野球のエリート校である広島商業高校の出身で、広島一筋で現役生活を終えていて、私のように、広島で野球をかじっていたような人間にとっては、仰ぎ見るような存在の人物であったと言っても過言ではありません。上記の記事にあるように、万年弱小球団であった広島カープは、ルーツ監督、古葉監督の下で奮起し、赤ヘルブームを巻き起こして昭和50年に初優勝し、その後もリーグ優勝、日本シリーズでも勝利するなどしますが、それを遊撃手として支えたのが三村氏であり、広島カープファンにとっては忘れがたい人物と言えるでしょう。
61歳の早世が惜しまれます。ご冥福を心よりお祈りしたいと思います。