無罪判決が急増 証拠評価の厳格化の表れ?

http://www.asahi.com/national/update/0709/OSK200707090002.html

一方、検察側は危機感を抱く。長勢法相は4月、全国8高検の検事長を集めた緊急会議で、自白の引き出し方や起訴の判断への批判が強まっていると指摘し、「国民の信頼を失わせることになりかねない」と苦言を呈した。ある検察幹部は「証拠を広く集め、最良の証拠を見いだすという捜査の基本が、おろそかになっているように感じる」と明かす。

こういった問題は、厳密に、原因はこれである、と特定しにくいものです。私自身は、最も大きな原因は、検察庁における証拠評価が甘きに流れていることや、捜査能力の低下、といったことではないかと感じています。
伝統的な、検察庁における証拠評価の在り方は、かなり厳しいもので、被疑者が主張(検察庁では「弁解」という言い方をする場合が多い)していることだけでなく、今は主張していなくても、将来、主張する可能性があることは、すべて想定し、1つでも崩せないものがあれば起訴はしない、というスタンスで臨んできたと言っても過言ではないでしょう。私自身も、若手検事の頃は、捜査に臨む心構えとして、最も狡猾な被疑者、最も優秀な弁護人を想定し、いかなる主張、弁解が出ても有罪になる証拠を収集した上で起訴する、ということを徹底的に叩き込まれた記憶があります。
ただ、そういった厳格な姿勢により、起訴すれば有罪になる可能性がある事件も、不起訴になってしまっていたという側面があったのも事実です。
バブル経済崩壊後、治安情勢が悪化し、いろいろな意味で、検察庁に対し、起訴圧力がかかり無理をするようになった、という側面もあるように思いますし、検察官の資質や組織内における教育機能が徐々に低下してきて、かつての厳密な証拠評価の手法が風化しつつあるのではないか、そういった諸事情が、上記の記事にあるような現象へとつながっているのではないか、と推測するのですが、あくまで推測ですから、はずれているかもしれません。