<渋谷駅発砲>被告に死刑 東京高裁・無期の1審破棄

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070425-00000038-mai-soci

高橋省吾裁判長は「人命を奪った後、良心の呵責(かしゃく)を感じることなく再び殺人を計画するなど、人命軽視の態度は極めて危険」と指摘した。
1審は「凶悪だが、死亡者は1人にとどまり、死刑にはちゅうちょせざるを得ない」と判断。しかし、この日の判決は「10回懲役刑に処され、度重なる矯正教育にもかかわらず犯罪性向は深刻化しており、被害者が1人でも死刑をもって臨むほかない」と述べた。

被告はJR東京駅の売店事務所に多額の現金があると思い込み、04年5月6日に同駅構内を探したが見つからず、腹いせに同駅地下3階で灯油をまき放火。同29日夜には、金目当てに横浜市中区の中華料理店経営、清水文男さん(当時77歳)を拳銃で射殺し、現金約44万円などの入ったバッグを奪った。同6月23日には、東京メトロ渋谷駅の売上金を奪おうと考え、同駅地下1階で駅員男性の腹に拳銃を発砲して右足まひなどの後遺障害を残す重傷を負わせた。

以前、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20041013#1097677333

でもコメントしたことがありますが、いわゆる永山事件における最高裁の判断が、死刑適用の可否を検討する際の基準として挙げる中で、「結果の重大性ことに殺害された被害者の数」としていたこともあって、以前は、死亡被害者が1名の場合、その点が極めて重視され、死刑適用は回避されてしまう、という傾向がありました。検察庁としては、そこを何とか乗り越えようとして、(その当否はともかく)無理を承知で上告するなど死に物狂いで努力してきた、という経緯があります。
そして、上記のエントリーで指摘した事件では、死亡被害者1名でも死刑、という判断を確定させ、最近でも、仮出獄中の再犯の場合は被害者1名であっても死刑、という判断を裁判所から引き出しており、徐々に、死亡被害者1名であっても、その他の諸情状との総合考慮の中で死刑がやむを得ない場合は死刑、という、厳罰化の大きな流れを定着させつつあります。今回の判決も、そのような大きな流れの中で捉える必要があると思います。
ただ、このように、死刑制度の存置を前提に、適用範囲を広げて行く、という厳罰化の流れが、長い目で見た場合の日本の刑事司法として果たして適切なものなのかどうか(死刑廃止論の様々な論拠にも照らし)、世界的には死刑廃止の方向で進む中で、そういった流れに大きく逆行することが果たして国民全体の利益や日本の国益に沿うことなのか(一方では「世界の流れに取り残されるべきではない」などとやかましく言いつつ共謀罪を無理に導入しようとする、といった日本政府の動きもあるような現状も踏まえ)、等々については、今後も慎重かつ現実を見据えた検討が必要でしょう。