嫌疑不十分と起訴猶予

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2007/01/post_8430.html

を読んで思い出したことです。
検察庁で事件が不起訴処分になる場合、裁定主文にはいろいろなものがありますが、起訴猶予になっている事件の中には、かなりの数、本来であれば嫌疑不十分で裁定すべきものも含まれていると言えると思います。
検察庁では、確実に有罪判決が得られる見込みがないものは基本的に起訴しない、というスタンスで臨んでいますが、捜査を進めていると、一応、有罪方向の証拠はあるものの、消極証拠もあり、これでは、ちょっと起訴は難しいな、と思う事件が出てきます。事件には、ある程度類型化できるポイントのようなものもあり、習熟してくると、起訴が難しい事件、というものは、すべき捜査を行えば、自ずとわかってくる、という面があります。
その辺は、健全な感覚を働かせ、フィルタリングして「落として」いるわけですが、一応、有罪方向の証拠もあり、何となく灰色でもやもやしている、というものも少なくありません。厳密には、嫌疑不十分にすべきようなものでも、「起訴猶予」で落とす、ということが、ここで起こります。
主任検察官としては、不起訴はやむをえないものの、嫌疑不十分にまでするには抵抗を覚えたり、嫌疑不十分では不起訴裁定書(刑事裁判での無罪判決のようなものですね)が長くなり書いていられない(こういう場合が少なくないかもしれません)、といった理由で、起訴猶予で落とす、ということになりがちです。
嫌疑不十分にすると、被疑者補償(被疑者補償規程)の要否を検討することになっていることや(嫌疑不十分にした事件で補償するということは滅多にありませんが)、警察が、嫌疑不十分という裁定主文になった際に、一種の捜査の失敗と捉える場合があって何となくかわいそうだ、といった考慮が担当検察官に働く、といった理由も存在する場合があります(警察官によっては、不起訴になるのはやむを得ないとしても、嫌疑不十分ではなく起訴猶予にしていただきたい、と懇請してくる人も実際にいます)。
不起訴裁定書を書く場合、理由のところで、嫌疑不十分の場合は、それなりに具体的な不起訴理由を、証拠も引用しつつ書きますが(結構、書くことに骨が折れるものです)、起訴猶予の場合、理由の前に書いてある犯罪事実について、「事実は認められるが」と軽く書いて、その後に、情状面について書いて行くことになるので、簡潔な内容で済みます。これが「嫌疑不十分的起訴猶予」の場合であれば、「事実は一応認められるが」と、「一応」といった言葉を入れ、その後の情状面の中で、証拠上の問題点にも簡潔に触れ(嫌疑不十分のときほど詳細には書かず)、「といった立証上の難点もあるので」などと、そういった点を情状面としても考慮した、というスタイルにすることも少なくないと思います。
嫌疑不十分的起訴猶予の場合でも、上記のような「立証上の難点」は、決裁官に対し、口頭などで説明するのが通例で、ラインにつながる人々(副部長、部長、次席検事、検事正といった人々)も、そういった問題点、不起訴理由について共通認識を持った上で不起訴にする、ということになります。
この辺は、私も、辞めて6年余りが経過しますが、現在も、処理としてはそれほど大きく変わってはいないはずです。
こういう実情があるので、過去に不起訴になった事件について、「起訴猶予」イコール「犯罪事実はきちんと証拠により認定され起訴されれば有罪だった」と決め付けてしまうのは、ちょっとどうかな、というのが、私の実感です。
裁判官や弁護士の方々も、「前歴」を見るときには、そういう可能性もある、ということを念頭に置いて見たほうがよいでしょう。

追記:

コメント欄で、

落合先生が検事を辞めて弁護士となったころから、そのようなものは起訴猶予とせずに堂々と嫌疑不十分として警察をけん制してくるようになりました。そのため不名誉な嫌疑不十分を避けるためウラヅケ捜査と残業が警察現場では増えました。』

というご指摘もあり、そもそも、こういった実態は、表に出てくるような話でもないので、このエントリーの中の「現在も、処理としてはそれほど大きく変わってはいないはずです。」という点は、過去の経験に照らした私の見方、ということで、参考程度に見ていただいたほうが良いでしょう。