映画「愛の流刑地」

http://www.airuke-movie.com/index.html

今日は、午前中、刑事の否認事件で、一生懸命、反対尋問をやって、かなり疲れましたが、夜、この映画を鑑賞してきました。

(以下、ネタバレ注意)

感想を項目的に挙げると、
1 日経連載のものを途中から読んでいた原作よりも、映画のほうが、作品としての完成度が高いと感じた
2 豊川悦司冨司純子の演技が光っていた
3 刑事手続、刑事裁判の描き方が、現実からかけ離れていて、リアリティがないので、かえって中途半端に気にならなかった
4 セックスシーンは、前評判ほどたいしたことはなく意外と平凡だった
5 長谷川京子演じる検事がひどかった
ということでしょうか。
特に、長谷川京子演じる検事は、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060812#1155351318

にあるように、

検事としての視点と、1人の女性としての視点の中で起こる葛藤と戦いながら菊治を裁いていく。

はずだったようですが、何か重大なことを勘違いし、過去の恋愛体験をいたずらに引きずり、自らの個人的な体験を勝手に担当事件と重ね合わせる、頭の悪い女検事にしか見えませんでした。
過剰に露出した服装は、長谷川京子のかわいさに免じて許すとしても、取り調べ方法が、終始、被疑者を小馬鹿にしたような態度で、「ねー、あんた、何考えてたのよー」という感じの、鼻にかかったようなしゃべり方で行われていて、公益を代表し、真実を発見するという重責を担う検察官の取り調べとはかけはなれたものになっていました。エンターテイメント、娯楽映画、ということを十分考慮しても、ちょっとあれはいかがなものか、という印象を受けました。あれでは、豊川悦司の好演の足を引っ張るだけでしかないでしょう。ああいう検事には調べられたくない、調べられたら本当のことをしゃべる気にはならないだろう、という感じでした。映画「それでもボクはやってない」の副検事にもひどいものがありましたが、それとは違った別のひどさがありました。
長谷川京子にとって、検事という役自体も、「検事としての視点と、1人の女性としての視点の中で起こる葛藤と戦いながら菊治を裁いていく」ことを演じることも、ともに荷が重かったようで、場違いな女検事が、見当違いなことを言ったり考えたりしながら、取り調べや公判立会を行っている、という以上の何ものでもなく、作品にささった、無用なトゲのような存在になってしまっていたと思います。
最後に流れる平井堅の歌は非常に良かったと思います。