ロースクール 曲がり角の法学教育

http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20060811/col_____sha_____003.shtml

ボツネタ経由。
「曲がり角」と言うよりも、最初から、進もうとする道のあちらこちらに、大小いろいろな穴があいていて、歩いている人々が次々と落ちている、と言うほうがイメージとしては合っているような気がします。

ロースクールなしでは法学部が受験生に見放される」として、法曹養成の実績も実力もないのに設立した大学もある。大勢の学生を相手に大教室で講義できて教育コストが低く、私大経営にとって魅力的な法学部を守るために、泥縄式につくったところが少なくない。
その実態は、暗記中心から脱し、豊かな常識、理論と実務能力を備えた法曹を育てるという理念からほど遠い。高い授業料を払っても法曹になれない多数の学生が出そうだ。
三年コースの結果が出る来年以降は相当数の法科大学院が淘汰(とうた)されよう。幻想を振りまいた末に学生を幻滅させることがこれ以上ないよう、経営側は早期に決断すべきだ。

この問題については、本ブログでも繰り返し触れてきましたが、所詮、歴史も、維持するだけの力もないのに、外国のロースクールを形だけ真似た、一種のパロディのようなものでしかありませんから、パロディに、貴重なお金や人的資源を投入するのは、一刻も早くやめるべきでしょう。もっと早期の終戦を決断していれば、東京大空襲も、広島・長崎の原爆投下も、その他の多大な犠牲も避けられた戦前の日本のようなものです。
全国の高裁・高検所在地に司法研修所を設置し、各地の優秀な法曹が教官として教育に携わる態勢を確立して、今まで司法研修所が蓄積してきた貴重なノウハウを生かすべきでしょう。あるべき法曹人口については様々な議論がありますが、当面、収容人員は3000名程度で構わないと思いますし、国民の意思として、より多くの法曹がいるべきだ、ということであれば、もっと増やしても構わないと思います。
司法試験は、司法研修所に入って実務家へ向けての教育が受けられるだけの、相応な知識や法解釈能力等が身についているかどうか、を問うものとして、従来の司法試験(旧司法試験)を基本に、受験生に過度な負担をかけない方法で行われるべきだと思います(口述試験は行わず、択一、論文の2段階とし、中途半端な実務志向の問題は、むしろ出さないのが適当でしょう)。
修習期間は、以前のように2年として、修習期間短縮により司法修習生にかかっている負担を軽減すべきです。給与がそこまで支払えない、ということであれば、「弁護士補」のような制度を取り入れて、司法修習生の間でも、一定の補助的な仕事はできるようにするなど、方法はいくらでもあるでしょう。
法科大学院は、特にすぐれた少数を残し、それらは法曹に対するより高度な教育を担う機関として、他の法科大学院は、本来の法学部教育へ復帰すべきでしょう。法学部教育は、法曹志望者のためだけにあるわけではないので、それぞれの法学部が、身の丈にあった教育を行えばよいと思います。
また、司法試験受験予備校を、理想的な法学教育の対極にある、邪悪なもの、排除すべきもの、とだけしかとらえない、一種の「善悪二分論」に立つのではなく、従来言われているような弊害は是正しつつ、上記のような、司法研修所へ至る法学教育の中で、司法試験受験予備校がいかに役立てる存在になるか、また、受験生としていかにうまく活用して行くか、ということを、関係者が真剣に検討すべきでしょう。
この日本史上稀に見る歴史的な大失敗を単なる大失敗に終わらせるのではなく、終戦後の日本が、戦前の反省から、戦後、驚異的な成功をおさめたように(余談になりますが、戦後の数々の改革は、敗戦やGHQ主導等に大きく影響されていたとはいえ、戦前から検討されていた種々の改革案が結実したという性格も強く持っています)、より良い法学教育、法曹養成を行うための貴重な教訓として大きく生かすべきだと思います。
なお、今後、制度を大幅に見直す場合であっても、新制度を信頼し法曹を目指した法科大学院生、受験生に及ぼすダメージは最小限に抑える必要があります。経過措置等を適切に講じるべきでしょう。

参考:

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20051204#1133655610