「黒焦げ弁当」再現 資料館で販売

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200608050076.html

持ち主だった広島県立広島第二中(現観音高)一年折免滋君=当時(13)=は建物疎開の作業中に中島新町(現在の中区中島町)で被爆。捜しに来た母親のシゲコさん(故人)が、真っ黒に焼けた弁当箱を抱えた遺体を見つけた。
同会はシゲコさんが生前に残した証言などを基に当時の味を再現。米と押し麦、大豆のまぜご飯と、ジャガイモと切り干し大根の油いためを容器に盛り、「しげるちゃん弁当」と名付けた。

私の祖父は、広島二中の英語教師で、直接の被爆は免れたようですが、被爆後の広島市内に入り、戦後、間もなく、おそらく、その影響で早くに亡くなりました。上記のような状況で、多数の生徒を失い、教師としても、さぞ辛かっただろうと改めて思います。
世の中、きれいごとだけでは済みませんが、現在の中東情勢を見ても、平和の中で生きることがいかに困難であるか、ということが強く感じられるのであり、戦場に散り戦火に倒れた人々に報いるために何ができるか、ということを、今後も真剣に考えて行く必要を強く感じます。

http://www.chugoku-np.co.jp/abom/99abom/kiroku/2chu/index.html