日本における国家警察

日本の場合、戦前の「警察国家」状態への反省から、都道府県公安委員会の下で都道府県警察が捜査権を持つという態勢が確立し(かつてはもっと重層的な構造になっていた時期もありましたが整理され)、現在に至っていますが(警察庁自体は捜査の主体にはなり得ない)、現在の態勢に改善の余地がないか、ということになると、そういうわけでもないと思います。
犯罪が広域化、国際化すればするほど、都道府県警察が捜査の主体になる、という態勢には限界が出てくるのは、必然的なことです。身近な犯罪で言うと、サイバー犯罪とか振り込め詐欺などは、同一被疑者、組織による被害者が全国に散らばるということになりがちで、各都道府県警察が、相互に様子を見て消極的な動きしかしない、という状態が続いてしまうことで、犯人検挙が困難になったり、被害が拡大する、という弊害も生じがちです。複数の都道府県にまたがるような重大犯罪、組織犯罪でも、各都道府県警察単位で捜査していては各種の限界が生じてくる、ということは、切実な問題と言えます(最近は、各都道府県警察に広域捜査官が置かれるなどして連絡調整を図るようにはなっていますが、抜本的な改善にはつながっていないでしょう)。
また、都道府県警察の中での捜査能力の格差、という問題も確かにあるでしょう。例えば、オウム真理教に関する一連の事件についても、松本サリン事件が発生した後には、無関係の一般市民を犯人扱いするという長野県警の大失態が明らかになり、また、管轄区域内にオウム真理教の拠点があった山梨県警にも効果的な動きはなく、結局、警視庁が動くことで、遅まきながら全容解明へとつながっていたことは周知の事実です。
このような弊害に対しては、各都道府県警察における連絡調整のほか、警察庁が、現在の権限に基づいて指揮監督や調整等を行っている状態ですが、都道府県警察の上部にあって君臨する巨大な存在、ではない、補完的で機動性のある一種の国家警察というものは、今後、新設を検討してもよいのではないかと思います。
現在の日本警察の態勢が、戦前の反省の下に構築されていることは言うまでもないことですが、諸外国中、日本と同様の国家理念を持つ国々でも、アメリカのFBIなど、全国的な捜査権を持つ警察組織が存在するということは、それだけの必要性が存在する、ということに他なりません。
ただ、上記のような制度を導入する場合、国家警察と都道府県警察の捜査権が競合したり、無用の軋轢が生じたりして、新たな弊害が生じる恐れがあり、そういった点は、予め慎重に検討の上、弊害が生じない制度にしておく必要があると思います。