縦並び社会・格差の源流に迫る:ブレーキなき規制緩和

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060403k0000m040022000c.html

コメント欄で紹介していただき、早速、読んでみました。
若干、記事自体にバイアスがかかっているような印象もありましたが、実態が垣間見えて、参考になりました。
私なりの感想を述べると、規制緩和という大きな流れ自体は、今まであまりにも無用な規制が多すぎ、労せずして既得権の恩恵にあずかってきた人々が多すぎるという実状のもとでは、必要であり、やむをえないことではないかと思います。
ただ、その際に注意すべきは、
1 人々は、必ずしも経済合理性だけで動くわけではない(理屈通りには動かない)
2 規制緩和の波のなかで脱落する人々に対する救済策も必要である
そして、この点が特に重要ですが、
3 規制の中にも、様々なものがあり、十把一絡げに取り扱うべきではない
ということではないかと思います。
この記事の中で取り上げられている、タクシー業界にしても、経済合理性で考えると、儲からない業者、関係者は、その業界にしがみつかず、別の仕事でもすれば?ということになります。しかし、今までその仕事をやってきたから、とか、この仕事に愛着があるから、といった、人間の「情念」のようなものもあるわけで、なかなか人は合理性だけでは動きません。この辺が、世の中の上澄み部分の中で生きてきたような人々には、なかなかわからないのでしょう。上記の2の点も、きちんと手当てしておかないと、自暴自棄に陥り、それこそ、子供をマンションの15階から投げ落としたり(この事件の犯人は規制緩和の犠牲者ではなかったようですが)、といった、とんでもない事件が頻発して社会不安を増大させかねないでしょう。
上記3については、既に、

「政府は,法曹を徒弟制度にしたいのか?」
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060223#1140655866

でも述べたように、世の中、規制が何もなければ皆がハッピーになれる、という単純、牧歌的なものではありませんから、自分の頭の中が単純で牧歌的だからと言って、それを、無理矢理、いろいろな物事にあてはめようとすれば、うまく行かないのは当たり前のことです。
規制緩和論議は、どうしても「緩和論者」対「規制にしがみつく既得権者・業界団体」といった図式に陥りがちであり、どこかの大国の大統領のような「善悪二元論」のような様相を呈しがちですが、物事を過度に単純化するのではなく、規制が行われてきた理由、必要性、緩和すべきなのか完全に廃止すべきなのか、緩和・廃止を行う場合であっても副次的な悪影響も考慮し、ある程度時間をかけつつ行うべきか、といった、きめ細かな検討が行われる必要があると思います。
ただ、日本で公的な委員会等に迎え入れられる「有識者」のレベルは、概して低いので、今後とも、幼稚で不毛な議論が続き、何の罪もない、この記事の中に出てくるタクシー運転手のような人々が犠牲になる可能性は高いでしょう。