「法科大学院出でて研究会亡ぶ」?

http://knakayam.exblog.jp/3071598

ボツネタ経由で、中山教授が上記のように言われているのを知りました。
こういった話は、私のようなしがない実務家でも耳にしますから、かなり深刻な問題になっているようです。
ただ、その種の話を聞いていて思うのは、ロースクールの教員が、学生に「構い過ぎて」いるのではないか、ということです。要するに、接する時間が長過ぎ、接触し過ぎなのではないか、と。構い過ぎれば、必然的に自分自身の研究に充てられる時間は作れなくなるでしょう。
司法試験に合格するような受験生の勉強時間のうち、かなりの部分を占めるのは「自習」です。適切な教材を、適切に読み込み、着実に理解し定着させる、という地道な作業の繰り返しです。
ただ、漫然とそういった作業を繰り返していては、勉強がなかなか前に進みませんから、講義を聴いたり、ゼミを組んだり、質問したり、答案を書いたり、といった作業も並行して行う必要があります。ロースクールというものができた以上、ロースクールならではの意欲的な講義等があっても良いでしょう。しかし、法律の勉強の中心を占めるのは、上記のような自習であると言えると思います。
私自身、有名な研究者の、若いときの勉強体験談を複数読んだことがありますが、良い講義を聴きじっくりと本を読んだことが有益であった、という体験談が多かったと記憶しています。また、司法試験合格者の体験談を読んでも、定評のある基本書等をいかに身に付くように読み込んだか、が熱く語られている場合が多いはずです。
おそらく、かなりのロースクール教員は、司法試験を視野に入れた勉強の本質(新司法試験になっても、そこは変わらないと私は見ています)が見えておらず、学生に構えば構うほど力がつくと錯覚していたり、構うように種々の圧力を受けたりして、それだけ時間を取られ、研究への悪影響が出ているのでしょう。合格者を出したいと焦る気持ちは理解できますが、考えて行動しないと、かえって、学生の貴重な自習時間を奪い、勉強に支障を来すことにもなりかねません。