「旧日本兵2人 比で生存」ミンダナオ島 引き揚げできず山岳に

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050527-00000000-san-soci

同連隊の関係者によると、第三十師団は昭和十九年七月、同島のダバオ市に上陸。同年九月に米海軍艦載機による空襲を受け、翌二十年四月に同島中央部の渓谷地帯マライバライで「自給自戦」を命じられていったん分隊となり、同島北部のワロエで再集合することになっていた。
彼らは小人数で山岳部を転進中に終戦を迎えたため師団の引き揚げに合流できず、残留を余儀なくされた。

「転進」というのは、実は「撤退」のことで、撤退の惨めさを感じさせないための戦中用語と聞いています。上記の経緯を見ると、非常に悲惨な状態で終戦を迎えたものと容易に推測されます。

いずれも高齢のため帰国を強く望んでいるが、戦線から離脱したことで日本での軍法会議にかけられることを強く恐れていることが分かった。

それだけ、旧軍の軍法会議が恐ろしい存在だったということでしょう。
厚生労働省を中心に、早急に救出・救援体制を整備して、帰国できるようにすべきです。